皆さん『ゼロヨン』という言葉をご存知でしょうか。
ゼロヨンが、プレイステーション5版グランツーリスモ7において復活するということで話題になっています。
グランツーリスモ7にゼロヨンが復活することについて、グランツーリスモファン歴10年の筆者が徹底解説します。
ゼロヨンについて
ゼロヨンとは、400m加速のタイムアタックのことです。
1950年代から60年代にアメリカの若者が電柱の間隔や信号の間隔でスタートからタイムアタックすることがありました。
その間隔がおよそ400mだった為、ゼロヨンと呼ばれています。
現在では、若者を中心に愛車を400mでタイムアタックをおこなうという、正式な競技になっています。
ゼロヨンの魅力
競争する2台が、決められた線にフロントラインがついてから、競争が開始。
タイヤを空転させて摩擦で煙を生じさせたりタイヤを温めることで、道路とのグリップを力を高めるなど、バーンアウトなどの活用方法がゼロヨンにはありました。
アクセルを思い切り踏んで、直線に全てをかけるというのが魅力です。
ゼロヨンの重視されるポイント
パワーがあるクルマなら速いと思いがちのゼロヨンであるが、もちろんパワーも重要です。
スタート時のトラクション、オートマであればシフトスピード、マニュアルならスタート時のクラッチのコントロール性とシフトのしやすさが重視されます。
車を加速させるパワーを発揮するパワーバンドの広さ、空気抵抗などの総合的な力を競う競技です。
そんな日本でのゼロヨンの歴史について紹介します。
日本でのゼロヨンの歴史
日本でゼロヨンがおこなわれたのは1970年代後半。若者たちが公道などでおこなったのが始まりです。
次第にストリートでの規制が厳しくなり、ゼロヨンができなくなって、公式な場所でおこなわれることになります。
ゼロヨンが本格的に日本に上陸したのは、1989年5月。
富士スピードウェイにて、第1回USAドラッグフェスティバルが開催されました。
その後、企業などにが大会を開催したり、富士スピードウェイでもゼロヨン大会が開催されました。
その後JAF公認団体ロードランナーレーシングクラブによって、初の公認競技として開催。当初のタイム目標は12秒台を切ることでした。
近年のゼロヨンの傾向
1989年のUSAドラッグフェスティバルを皮切りに、『トップフュ-エルドラッグスター』『アルコールファニーカー』『ガスドラッグスター』などがJAFに承認され、本格的なドラッグレースが開催されました。
近年は、ゼロヨンの加速タイムに絶対的な性能があまり重要視されない傾向にあり、注目されなくなりつつあります。
そんな中、JHRA日本ホットロッド協会が発足され、ドラッグレースをメジャーなモータースポーツとしておこなう為に活動しています。
以下に公式ページの内容を紹介します。
JHRA Japan Hot Rod Association【日本ホットロッド協会】
日本に於ける、ドラッグレースを復活!1980年代から90年代にかけ最高に盛り上がったドラッグレースあの時をもう一度・・・!火を消さないために、継続することが目的です。
引用:JHRA Japan Hot Rod Association 全日本ドラッグレース選手権シリーズ RRC – 日本ホットロッド協会 DRAG RACING ドラッグレース
日本車での最速タイム
日本車での最高速タイムは、フロリダ州(USA)バームビーチで開催されたゼロヨンレースで、『日産 GT-R R35』で10.87秒とのことです。
そんなゼロヨンですが、グランツ―リスモ7では、どのようにゼロヨンの魅力が表現されるのか紹介します。
グランツーリスモでのゼロヨンとは
グランツ―リスモ7のチャレンジミッションで、ゼロヨンの導入が決まっています。
オンライン上で2台同時に走行し、最高速度のタイムアタックを実現できます。
各国の有名な車両で、有名なレースコースで各国の仲間達と楽しめるのは、グランツ―リスモだからこそできる体験ではないでしょうか。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
プレイステーション5「グランツーリスモ7」にゼロヨンが復活することについて紹介しました。
本場アメリカでは、ゼロヨンのレースは数千以上もの回数が開催されています。
プレイステーション5「グランツーリスモ7」によって、日本でもオンライン上で人気になること間違いなしです。
ぜひ注目してみて下さい。
下記の記事ではゼロヨン以外のレースについて紹介していますので、併せて読んで頂ければ幸いです。