幻の国産スーパーカーたち

1990年にホンダがNSXを発売して以降、日本にもレクサスLF-Aや日産GT-Rをはじめとした「スーパーカー」と呼べそうな車が登場してきました。
しかし、実はその裏で一般発売が実現しなかったスーパーカー達も存在します。

「役所の壁」を破れなかった童夢・零

日本初の「スーパーカーメーカー」としての可能性を秘めていた「童夢」の作品、「零(ゼロ)」。1978年のジュネーブショ―に展示されました。

当時のフェラーリやランボルギーニより一回り小さいボディ。エンジンこそ構造が比較的単純な日産のL型だったものの、それをミッドシップへ縦置きに搭載し、とてつもなく平べったいその姿はまさしくスーパーカー。

元々レーシングカーを作って世界のレースに打って出ようとしていた「童夢」は、その前のステップとして「零」を作りました。市販を考えてテスト走行を入念に行っていたものの、童夢が自動車製造業ではなく自動車関連会社だっために運輸省(現在の国土交通省)が首を縦に振りませんでした。

公道を走らせられなかった「童夢・零」は、最終的にプラモデルなどでの商品化を行いました。その版権も資金の一部となって、かつてからの目標であった国際レースに出場することになりました。

ル・マンの勇姿、公道を走らず。日産R390GT1

1997年にル・マン24時間レースに初参戦し、翌98年には総合3位の好成績を残した日産のレーシングカー「R390」。当時、ナンバーを取得して公道を走行可能なロードゴーイング・バージョンの存在が噂されていました。

そもそもR390が出場していたル・マンのGT1クラスそのものが「レース仕様の他に公道仕様を25台生産する事。」という規則だったので、「日産も、いつ、いくらでR390を販売するか」に関心が集まっていました。

販売価格は1億円以上などと噂されていましたが、実際に公道仕様で製造されたのは2台のみ。99年以降はGT1クラスそのものが無くなってしまい、市販は実現せずに終わりました。

かつて活躍した戦闘機と同名のレーシングカー「紫電」

「紫電」と言えば旧日本海軍の戦闘機ですが、同名のレーシングカーがありました。

レーシングカーの「紫電」がデビューしたのは、1997年。
デザインした由良拓也氏が、再び2006年にリメイク版「紫電」を製作し、「SUPER GT」のGT300クラスに出場させます。
当時、レーシングカーでありながら、安全性なども考慮されていたため、市販化が期待されていました。しかし、結局実現しないまま2012年で活動を終えることとなります。

オートバックスのスーパーカー「ガライヤ」

かつてリアルスポーツカー「ZZ(ズィーズィー)」を開発・生産していた、トミーカイラ。
その開発部門を引き継いだのがASL(オートバックススポーツカー研究所)で、当時「ガライヤ」を開発していました。
しかし、トミーカイラZZ同様にイギリスで生産、日本へ輸入販売する計画がありましたが、何度か計画延期が繰り返されるうちに話は立ち消えてしまいました。

ガライヤのレーシングモデルだけは、元F1ドライバーの鈴木亜久里氏が率いるARTA(オートバックス・レーシングチーム・アグリ)から「SUPER GT」GT300クラスに参戦(2003~2005年、2007~2012年)。前述の「紫電」とのバトルも見られましたが、規定が変更されるタイミングで活動を終えました。


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コメント:
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