シビックが誕生するまで失敗続きだったホンダ
今や軽トラからスーパーカーまで手広く商売しているホンダですが、1970年代前半はかなり綱渡りの状況にありました。 1960年代に一世を風靡したスポーツカー”S”シリーズは元々量販車種では無かった上に、1970年で生産終了。 S800のパワーユニットを流用したライトバンのL700 / 800とピックアップトラックのP700 / 800は、安くて頑丈が求められる商用車としては失敗作で、L800をベースに乗用車化したN800は量産されずに終わります。 渾身の力作、1.3リッターセダン/ クーペの「ホンダ1300」は凝りまくったおかげで重すぎた強制空冷エンジンと、それにより初期モデルが操縦性の面で酷評されたことから、これも大失敗。 新しい価値観をと軽トラベースのレジャービーグルとして売り出したバモスも全く売れず。 それでは売れている車は何かと言えば、大ヒット軽乗用車N360の後継ライフと、そのスペシャリティモデルであるZ、そして軽トラックのTN360のみ。 しかも1972年6月には軽自動車の車検義務化も決まり、保安基準も厳しくなって高価になってきた軽自動車からの「客離れ」もあって、ホンダは四輪車メーカーとしてかなり厳しい状況にありました。 ホンダは四輪車から撤退し、二輪車メーカーに回帰するのではないかと、真面目に噂されていたのです。 それが初代「シビック」誕生前夜のことでした。
もう一度、FFの大衆車を!シビック誕生!
しかし、ホンダはまだあきらめていませんでした。 ホンダ1300の失敗から反省し、今度は一転して軽自動車を大きくしたような小型のFF車(フロントエンジン・前輪駆動車)を開発したのです。 エンジンはオーソドックスな水冷SOHC2バルブの1.2リッター直列4気筒、それをミッションと一列に横置きするジアコーサ式FF。 軽自動車では既に、横置きエンジンとミッションを二階建てにしたイシゴニス式のN360から、現代めでFF車の一般的レイアウトとなるジアコーサ式を採用した新型軽乗用車「ライフ」が1971年に発売されていました。 水冷エンジン、ジアコーサ式FF、リアハッチではなく独立したトランクを持つ2BOXスタイルと、基本的にライフを拡大したものだと考えると、シビックそのものは既に確立された技術を使った、保守的な車です。 しかし、奇をてらってばかりでそれがマニアックなユーザーにしか受けず、商業的に失敗し続けていたホンダにとっては、「この保守性こそが革新的」でした。 とにかくまずは売れなければ話にならない、これが売れなければ四輪車市場ではもう後が無いという状況の前では、CVCCによる排ガス規制クリアなど些細な話だったかもしれません。
シビックはMM思想の原点
ホンダが四輪車市場で踏みとどまるには、単に保守的なだけでもダメでした。 小さくて扱いやすくとも広い車室で快適性も確保しなければ、大衆車市場では受け入れられません。 その意味で凝りまくったエンジンが重すぎて操縦性も整備性も最悪、しかも強制空冷機構のためやたらと大きく場所を取るエンジンに押され、車室もそれほど広くありませんでした。 新型車はそこから一転、メカニズムはシンプルでそのスペースも最低限、それ以外は車室n当てて快適性を最大限にまで追求したのです。 1980年代、ホンダは「マシン・ミニマム、マン・マキシマム」(機械を最小限に、人間には最大限のスペースを)というMM思想を宣伝しますが、その原点がシビックだったと言えます。
大ヒットでシビック一本槍の背水の陣へ
こうして1972年7月にデビューした初代シビックは、目論見通り好調な滑り出しを見せました。 さらに1973年には有名な排ガス浄化システムCVCC採用モデルを追加、4ドア車も追加したことでユーザーの選択肢も増え、ホンダの普通車としては初めて、それも世界的な大ヒットを記録したのです。 ここでホンダは決断します。 「高価格化と客離れで利益率の悪化していた軽乗用車から撤退し、シビックに経営資源を集中する。」 初代シビックがデビューした当時、先に描いたように軽乗用車のライフとZは生産と販売を継続しており、それに1300を水冷エンジン化したホンダ145も細々ながら販売を継続していました。 しかし、ホンダの生産能力は限られていたため、そのほとんどをシビックに集中することで四輪車メーカー・ホンダの社運を賭けたのです。 これにより、145、ライフ、Z、ステップバン、バモスはその生産を1974年で打ち切り、一時期のホンダは本当にシビック(2/4ドア2BOXセダン、3ドアハッチバック、5ドアライトバン)と、軽トラックのTN360しか作っていません。 その状況は1976年5月にシビックより一回り大きい初代アコードがデビューするまで1年半に及びましたが、その間もシビックは売れ続けました。 ホンダは賭けに勝ったのです。
その後ホンダは車種ラインナップを増やし、2017年3月現在、トヨタグループや日産ルノー連合と並んで、日本で独立を守り続ける数少ない自動車メーカーに成長しているのはご存知の通りです。 初代シビックでの「言い訳の効かない決断」が無ければ、今のホンダは無かったかもしれませんね。 次回は、「ブルーバードの後継車?日産バイオレット」をご紹介します。
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