トヨタによる「ダイハツ100%子会社化」の衝撃
2016年1月にトヨタが発表した、「ダイハツの100%子会社化」。 従来から軽自動車メインのダイハツはトヨタグループの小型車・軽自動車部門として大きな役割を果たしてきましたが、今回の100%子会社化はそこから一歩踏み出す決断をトヨタに迫りました。 今まではトヨタから依頼された各種自動車の下請け生産を行いつつ、独自の小型車や軽自動車を開発・販売し、マレーシアの関連会社やインドネシアの現地法人で生産した自動車も両国でトップクラスのシェアを誇るようになりました。 その国内外で開発・生産された自動車の一部はトヨタブランドでも販売されてきましたが、陰に日向にトヨタからの関わりもあったものの、あくまで主体はダイハツとして開発されてきたわけです。 それが今回の100%子会社化により、ダイハツにはトヨタに対する新たな役割を課せられる事になりました。 「リッターカー以下のコンパクトカー開発でノウハウに乏しいトヨタの新たな一部門として、トヨタのためのコンパクトカーを開発し、トヨタ自身をそれ以上のセグメントの車に専念させる。」 「海外の新興市場における低価格車ブランド、または世界的なプレミアムコンパクトブランドとしてダイハツを育てる」 従来からの軽自動車メーカーとしての路線は当面不動ですが、トヨタとスズキの接近も噂される中で、今後もダイハツが同じように続くかどうかは、まだわかりません。
日本の自動車メーカーは60年代に大変動
日産を中心とした動き
そもそも1950年代から60年代にかけて、日本の自動車メーカーは通産省(現在の経済産業省)による強力な指導もあって、合併や提携が盛んな時期がありました。 この時期の代表的な合併が、日産自動車によるプリンスの吸収合併です。 「グロリア」や「スカイライン」など販売好調な自動車を開発・販売し、日本グランプリなどレースでも名声を高めていた一方で、経営の思わしくなかったプリンス自動車を、通産省や銀行主導の形で1966年に合併し、日産自動車が存続しました。 また、「コニー」ブランドで軽自動車やオート三輪を開発・販売していた愛知機械工業も1962年から日産と提携、1970年には独自の自動車開発から撤退して、日産の傘下に入ります。 「スバル」こと富士重工も1968年の提携で日産の下請け生産を受注し、一部(4WD車のリアデフなど)に日産と共用化した部分はあったものの、本格的な関係までは至っていません。
トヨタを中心とした動き
トヨタも「コンテッサ」「ブリスカ」など独自の自動車を開発・販売していた日野自動車を1966年に、さらにダイハツ工業と1967年に提携し、事実上の傘下に置きました。 あくまで合併では無かったものの、日野自動車は乗用車産業から撤退してメーカーとしてはバスやトラック専業となり、ダイハツも完全に乗用車を禁止されたわけでは無いものの、開発・生産は小規模なものとされ、軽自動車がメインのメーカーとなったのです。
70年代から80年代にかけては海外メーカーとの提携が盛んに
いすゞとGMの提携
1971年にはいすゞ自動車とGMが提携しました。 GMの世界戦略小型車「Tカー」としてGMの一部門となっているドイツのオペル・カデットをベースに「ジェミニ」を開発・販売し、GMの世界戦略に組み込まれていきます。 その後もGMの小型トラックや小型乗用車部門として重要なポジションを占め、1991年に乗用車生産から、2002年にはビッグホーンなどSUVも日本市場から撤退しますが、現在でも小型トラックや小型ピックアップトラック部門としてGMの世界戦略の中で大きな役割を果たしています。
スズキとGMの提携
1981年にはスズキもGMと提携しました。初代「アルト」を見たGM首脳部が、新興国向け小型車の開発ではとてもスズキにかなわないという判断の中での提携と言われており、実際GMがスズキに干渉するような事も無い良好な関係が長く続きます。 GMの欧州部門とも言える「オペル」や「ヴォクゾール」のほか、GMの北米低価格車部門である「ジオ」などにもカルタスやワゴンRベースの小型車を供給し、その関係は2008年にお互いへの出資関係が解消されるまで続きました。
マツダとフォードの関係
1979年に始まったマツダとフォードの提携関係も長く、マツダがフォード車を販売する「オートラマ」ディーラーを運営したり、「ファミリア」を「フォード・レーザー」として供給するなど小型車の相互供給という形が続きました。 1996年には完全にフォード傘下に入り、バブル崩壊で極度の危機に陥ったマツダの立て直しを図りましたが、業績回復の中で2015年ついにフォードと関係解消に至りました。
三菱とクライスラーの関係
三菱も1970年にはクライスラーと合弁し、クライスラー版の「ギャラン」を北米で発売するなど小型車部門で提携した他、1990年代にはGTOを「ダッジ・ステルス」として販売するなど相互補完関係にありました。 2000年にはドイツのダイムラー(メルセデス・ベンツ)と提携し、コルトを「スマートフォーフォー」として供給するなどしていましたが、三菱の重大なリコース隠しなどトラブルが相次いだ中で提携が解消され、次期スマートとして開発が始まった新型車が後に三菱の「i」へ、そして電気自動車「i-MiEV」へ発展するなどのエピソードがありました。
ホンダとローバーの関係
1979年にホンダが提携したイギリスの自動車メーカー「ブリティッシュ・レイランド」が「オースチン・ローバー」、「ローバー」へと移り変わる中で提携は継続され、ホンダ・バラードがベースの「ローバー200」が販売されるなど良好な関係が保たれました。 1990年代にはローバーがホンダ傘下になる可能性も出てきましたが、1994年に突如BMWがローバーを買収(その結果が現在のBMWミニ)したため、そこで提携は解消されています。
日産とフォルクスワーゲンの提携
日産もまた世界戦略を展開する中で、ドイツのフォルクスワーゲンと提携しました。 1984年にはフォルクスワーゲンの「サンタナ」が日産で生産され「日産サンタナ」として販売されたものの、フォルクスワーゲン側で日産にあまり関心が無かったため1990年で生産終了。 日産ディーラーでのフォルクスワーゲン車の販売も、トヨタ系ディーラー(デュオ店、ファーレン店)での販売開始により中止され、日産とフォルクスワーゲンの関係はごく短期間で終わっています。
国内メーカーのみで合併、提携していたのは、80年代までトヨタのみ
以上のように、かつて日本の自動車メーカーは世界中のさまざまなメーカーと関係を持っていました。 英ローバーを傘下に収めかけたホンダ、あくまで国内メーカーのみでの関係に留まり、世界戦略は自力で行っていたトヨタは例外として、全てのメーカーが海外大メーカーとの提携関係で小型車部門として生き残りを図っています。 その結果、提携先の大メーカーの経営危機がそのまま自身の危機になるという自体を招き、また激動の時代となる90年代以降の大再編を迎える事になるのです。