今はもう生産されていませんが、先輩のカーマニアなら懐かしく思うオペルのカデットは50年以上の歴史を持つ名車です。
そして、あのいすゞ・ジェミニのベース車種として開発されたGMの世界戦略車なのです。
今回はそのカデットを詳しくご紹介したいと思います。
オペル カデットの歴史
初代の「カデット」は、1930年代にナチスの下でポルシェが開発したVWビートルに対向して、アメリカのGM傘下となったオペルが開発された歴史を持ちます。その後の戦後混乱期を経て、1962年22年ぶりに誕生した1,000cc級大衆車「カデット」が再登場しました。
このモデルが初代とされることが多いのですが正式には2代目となるので、一般的には「カデットA」とよばれます。
その後のモデルもカデットB、カデットCと続き、最終モデルとなる1984年発売のカデットEまで続きます。
カデットCやDが登場した1973年からはオペルの日本への輸入はありませんでしたが、いすゞがカデットCの姉妹車であるジェミニを販売し大ヒットしました。
そして、1982年からオペルの輸入が再開し、カデットも1985年にの輸入が始まりました。
日本の大衆車にも影響を与えたカデットA
カデットAは、1962年に車重700kgのコンパクトなボディに4気筒OHV1.0Lのエンジンを搭載し、ビートルに対抗できる車種として登場しました。
このカディットAは、その後の日本の大衆車であるサニーやカローラの設計に大きな影響を与え、多くの面で影響がありました。
ビートルを上回るベストセラーカー カデットB
カデットBが登場した1965年当時のドイツでは、大衆車はビートルのような2ドアが主流でしたが、カデットBは、ユーザーニーズに応えた4ドアモデルが人気となりました。
クーペモデルでは、「ラリー・カデット」が追加され、その後の小型スポーティーモデルの先駆けとなりました。
カデットBは、1.9LモデルはオペルGTのベースモデルでもあり、オペルGTはアメリカの輸入車ランキングで2位の座になったり、1972年にはモデル末期のVWビートルを抜いて西ドイツのベストセラーカーの座にも輝いていました。
1960年代のオペルは人気輸入車であり、カデットAとBが日本にも輸入されました。
ジェミニのベースとなったカデットC
1973年~1979年にかけて生産されたカデットCは、GMの共通プラットフォームから各国に合った製品を派生させる「グローバルカー(世界戦略車)構想」として開発されました。
このカデットCをベースにした日本仕様が、1974年11月に発売された初代いすゞジェミニです。
4ドアセダンと2ドアクーペという2種類のボディタイプがあり、ベース車のオペル・カデットのように逆スラントノーズを採用するなど、当時の欧州車を思わせるのボディデザインとなりました。
1.6 Lと1.8Lのガソリン車、そして1.8 Lディーゼル車がラインナップされ、オペルの堅実な設計にいすゞ製エンジンを組み合わせたジェミニは大ヒットし、その後のいすゞの主力車種となりました。
特に、発売が「第二次オイルショック」と重なり、ディーゼルエンジンモデルは低燃費車として注目を浴び、ディーゼル乗用車の代表として知られる事になります。
そして、1988年まで生産が続き、総生産台数768,537台となる長期モデルになりました。
ジェミニのベース車両となったカデットCは、日本以外ではイギリスでヴォクスホール・シェヴェット・ブラジルとアメリカではシヴォレー・シェヴェットとして生産・販売されています。
最後のカデットとなったカデットE
1984年に登場したカデットEは、空気抵抗係数(Cd値)0.32というエアロフォルムが最大の特徴でした。
ボディは3ドアと5ドアのハッチバック、4ドア3ボックスのセダン、ワゴン、そしてベルトーネが担当した2ドアカブリオレがありました。
最高速は220km/hに達するGSiはグループAでWRC、そしてDTM(ドイツツーリングカー選手権)に参戦し、そのスポーツ性をアピールしました。
しかし、1992年のモデルチェンジで「アストラ」に統一され、50年以上の歴史を持つカデットの名前は消滅し、カデットEは最後のカデットになりました。
まとめ
オペルの輸入がなくなったことで知られることの少ない車種ですが、歴代のカデットは日本の車作りが飛躍する見本になった車種なのです。
2022年から再開されるオペルが素晴らしい車を投入し、また日本の車造りに良い影響を与えてくれることを望みましょう。