国産大衆車の歴史「2代目パブリカと初代コルトギャラン」

国産大衆車史その11、1960年代、今ひとつブレイクスルーできない2台がようやく花開きます。


三菱 500とトヨタ 初代パブリカの誤算

通商産業省(現在の国土交通省)が構想した「国民車計画」に対し、三菱 500、スバル 360、そしてトヨタは初代パブリカという回答を出しました。

これら初期の「国民車」で成功したのはスバル360のみで、三菱 500もトヨタ パブリカも「決して安い買い物でない割に、あまりにも貧相すぎる」という理由から、成功作とはとても言えなかったのです。

むしろ大衆車として成功したのは、先行していた1,000~1,200ccクラスのトヨタ コロナや日産 ブルーバード、そして後発の800~1,000ccクラス、マツダ ファミリアやダイハツ コンパーノだったのでした。

パブリカも三菱 500も体制を立て直し、パブリカは装備を豪華にするデラックス路線で、三菱500はクルマそのものを見直し、三菱 600、コルト800、コロト1000F/11Fと、戦時中の戦闘機さながらに矢継ぎ早のモデルチェンジを繰り返します。

しかし、初代パブリカは一度ついた「貧乏臭い」というイメージを最後まで取り返す事はできず、何より空冷水平対向2気筒エンジンをパタパタ鳴らして走る基本的な部分が何も変わりませんでした。

三菱も野暮ったいデザインでパッとしないというイメージが、ずっとついて回ります。
ここで今の目から見ると不思議なのは、三菱はともかく、当時のトヨタが今のような巨大メーカーでは無かった事です。

大抵のクルマは、印象は薄くてもそれなりに売り切ってしまう現在のトヨタと違い、当時は既に日本でトップの自動車メーカーだったとはいえ、「販売力で何とかできる」というほどのリードは無かったのでした。

転身!2代目トヨタ・パブリカの成功

1961年のデビュー以来、豪華装備を追加したデラックス路線やスポーティなコンバーチブル(オープンカー)の追加で巻き返しを図り、マイナーチェンジでモデルチェンジ並のデザイン変更をしたものの、今ひとつライバルから一歩抜けられなかった初代パブリカ。

それでもどうにか初期の酷評だけは克服して、1969年4月のモデルチェンジを迎えますが、ここでさらに大きく方向転換しました。


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コメント:
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