日本輸入自動車史その2・明治・大正期の輸入車 日本初の事故車

日本の自動車史において不可欠な「輸入車」まだ国産車を作れなかった時代、国産車も作れず、輸入も制限されていた時代、国産車全盛期、そして現在の輸入車が確立された時期をご紹介していきたいと思います。今回は日本初の輸入電気自動車であると同時に事故車にスポットを当てます。


なぜか存在自体が無かった事にされていた、皇太子献納のヴィクトリア号

まだ自力で自動車を作る事など考えもつかない時代、日本初の自動車が輸入車なのは当然であり、その第1号は1898年に日本を走ったフランスのパナール・エ・ルヴァッソールM4であった事は前回書いた通りです。

実のところ、このパナール車が日本第1号と認知されるようになったのはつい最近の話で、それまでは資料が見つからないからと諸説混合、色々な主張がありました。

その中のひとつ、1900年(明治33年)に当時の皇太子殿下(後の大正天皇)御成婚の儀にあたり、在留サンフランシスコ日本人会から献上された電気自動車も、そんな1台です。

ただし、この電気自動車に関してはそもそも輸入されたという資料すら見当たらないからと「存在自体が無かった、あるいは疑わしかった」とされていた時代もありました。

その根拠として、当時の献上品一覧の中に無かったからという主張が献納自動車は幻、あるいはもと後の時代という説を補強していたのです。

しかし、自動車の歴史を探る先人たちの努力によって最終的に当時サンフランシスコで発行されていた日本語新聞「新世界」によって、移民たちの募金によって電気自動車の輸入が決まった事、1900年8月3日にサンフランシスコを出航したアメリカ丸という商船で日本に運ばれた事がわかりました。

それによって確かに1900年、当時の皇太子御成婚を祝賀するため電気自動車が送られた事はハッキリしたのです。

先に献上品一覧に無かった、というのは同年5月10日の御成婚に間に合わず、後から届いたためと推察されますから、これも納得できる話でしょう。

輸入車2号か3号かは微妙だが、4輪電気自動車第1号だった事は確か

ちなみに、パナール・エ・ルヴァッソールM4に続く輸入車2号についてはまだ諸説あり、完全な結論には至っていません。

というのも、1900年4月に蒸気自動車のスタンレー ロコモビルを輸入したという主張もあり、そうなると1900年8月にサンフランシスコを出発した電気自動車ヴィクトリア号はその次、という事になるからです。

ただし、ロコモビルについては実際に日本上陸した日について明確な資料が未だに発見されておらず、まだ仮説の域にとどまります。

その意味では、当時の資料ヴィクトリア号の方が暫定第2号輸入車、と考えて差支えは無いでしょう。

いつかはロコモビルの方が先に到着した資料が見つかるかもしれませんが、その時はロコモビルが第2号、ヴィクトリア号が第3号になるだけの話です。

ただし、ヴィクトリア号が日本初の4輪電気自動車だった事には間違いがありません。

ここで4輪、と書きましたが、3輪電気自動車、というより3輪電動自転車は19世紀末に既に日本に存在したと言われているので、あくまで4輪自動車としては、という意味になります。

日本初の輸入電気自動車、ヴィクトリア号はどのようなクルマだったのか

さて、そこでヴィクトリア号とはどういうクルマだったのかという事になりますが、実はよくわかっていません。

メーカーはウッズ・モーター・ヴィハイクル・カンパニー(以下、略してウッズ社)で、1904年型ヴィクトリアと同じ諸元であれば、見かけは馬で引っ張らない馬車のようなスタイルで、3人乗り。

後席に2名乗車で、その下に2基のモーターで合計2.5馬力、4速マニュアルミッションを備えており、最高速度は29km/hだったそうです。

当時苦労して走らせば堀に落ち、当時の皇太子殿下にも遅いと言われた

さて、そのウッズ ヴィクトリアはいよいよ試運転に入るわけですが、何しろ電気自動車ですからバッテリーに充電しないといけないのは今のEVと変わりません。

もちろん都心のあちこちに充電スタンドなどあるわけも無い当時、まずは東京電灯(現在の東京電力の前身の一つ)に充電を命じたものの、直流電源で動くヴィクトリア号のバッテリーに、交流から変換充電可能な設備が無かったので断念。

結局、高田商会という商社が直流発電機を持っていたので、それを青山御所に持ち込んで充電、そのまま欧米留学帰りの高田商会の電気部長が試運転に及んだそうです。

つまり、この廣田精一なる名前の電気部長(後のオーム社創業主)が「日本で初めて自動車を運転した日本人」になりましたが、その結果は散々なものとなりました。

走り出しは快調で、電気自動車ですから音も振動も無くスルスルと走ったそうです。

しかしあまりにも音も無く走ったものですから、たまたま道に立っていた老婆が「馬が引いていない場所が走っている」と感心してボーっとしていたためそれを避けようとしてハンドルとブレーキを誤り、そのまま三宅坂の先の堀に転落してしまった、との事でした。

これには諸説あり、初日は無事に済んだものの、2日目に2tの荷物を乗せた走行試験で紀の国坂の交番に突っ込みかけたので、急ハンドルで堀に落ちたという話もあります。

いずれにせよ日本初の交通事故で堀に転落したのは確かなようですが、幸い致命傷では無かったようで、10日ほど後に当時の皇太子殿下の前で走行デモを披露。

しかし「自動車とはことのほか速度の遅きものであるか」と言われてしまい、日本初の電気自動車、そして日本人初のドライブは散々な結果に終わったのでした。


いかがでしたか?

老婆が原因で事故を起こしたくだりなどは、現在のEVにもつながる「静かすぎて危険と判断してもらえなかったり、そもそも気づいてもらえない」という問題が、100年前にもあった事になりますね。

次回は、「日本初の自動車販売会社と、初の日本人自動車オーナー」をご紹介します。

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