国産車のエンジンの歴史をジャンル別にヒモ解き、簡単にその特徴を解説していくシリーズ「国産エンジン歴史シリーズ」スポーツカー編、その3は現代のスポーツカーにもその名を残す「フェアレディ」がいよいよ登場。エンジンがいよいよフレームを追い越し始めます。
エンジンとシャシー、足回りのイタチごっこが始まるSPL212「フェアレデー」
試験的に販売されたダットサン・スポーツ1000に続き、いよいよ現在にもその名が続く古参日産スポーツカーが登場します。
1960年1月登場のその名もダットサン・フェアレデー。
最初はまだ「フェアレディ」じゃなかったんですね。
まだまだトラックシャシーに四輪リーフリジッドのサスペンションと「ダットサンDC-3」以来の古いトラック流用…どころか、トラックの方がダブルウィッシュボーンと縦置きトーションバースプリングを使ったフロント独立懸架になってたので、乗用車の方が「トラックのお下がり」でしたが。
そこは当時どんなクルマが最優先だったかがわかるエピソードでもあります。
ともあれ、SPL212およびSPL213フェレデーのエンジンは、ベース車の更新(ダットサン210からダットサン310型・初代“ブルーバード”へ)により、そのエンジンが搭載されました。
直列4気筒OHV1.2リッターのE型エンジンです。
ビートルに対抗したダットサンのE型エンジン
ダットサン・スポーツ1000に搭載されていたB型(元は日産オースチンA50ケンブリッジ用エンジンのショートストローク版)のロングストローク版ですが、ブルーバード用の43馬力に対して、ツーバレルキャブレターを装着したSPL212/213フェアレデーでは48馬力にパワーアップされていました。
一度は日本の国情に合わせてショートストローク化、小型タクシー用1リッターエンジンとして完成したB型エンジンが、短期間で1.2リッターに再ストロークアップしたのには理由があります。
当時北米市場でのライバルはフォルクスワーゲン タイプ1、すなわち“ビートル”であり、その空冷フラット4エンジンが1.2リッターから30馬力を発生していた事に対抗したものです。
もっとも、1960年代に入って1.3リッター、1.5リッターと拡大していきましたので、日産は一歩遅れて追従していた事になります。
そのビートルを追いかけていたブルーバードのスポーツカーモデルと言えたのがフェアレデーでしたが、ビートルをベースとしたスポーツカー、カルマンギアと似た関係だったかもしれません。
なお、エンジンはブルーバードともどもその年のうちに改良されて“E1型”となり、ブルーバードの55馬力に対して60馬力に達しました。
この頃のトヨペット クラウン(初代)のR型4気筒OHV1.5リッターエンジンが48馬力でしたから、当時の日産はブルーバードでクラウン以上のハイパワーエンジンを積んでいた事になります(もっとも、当時は1.9リッターOHVで90馬力のクラウン デラックスが登場していましたが)。
このSPL212/213型フェレデーをもって、日本のスポーツカーはようやく十分な動力性能を得ました。
2代目“フェアレディ”SP/SRは最終的にハイパワーエンジンのジャジャ馬に
現在では“SP”または“SR”と通称される2代目フェアレデーは「フェアレディ」とちょっとだけ改名されて、SP310型が1962年10月に登場します。
小径のタイヤとホイールで加速力と高速時の抵抗軽減を行い、相変わらずトラック流用なもののX型クロスメンバーの追加で剛性を高め、低床化されたフレームで一層スポーツカーらしくなりました。
特筆すべきはこの代からようやく大衆向け乗用車のダットサン210やブルーバード用エンジンから離れた事で、初代セドリック用の1.5リッターOHV4気筒エンジン“G型”が搭載されます。
71馬力を発揮したこのエンジンでセドリックより200kg近く軽いものですから動力性能は飛躍的に向上しますが、輸出用のSUツインキャブを装着して80馬力にパワーアップされ第1回日本グランプリでクラス優勝を遂げました。
1965年にはブルーバードSSS(ダットサン410型、SSSとしては初代)と同じ1600ccのR型90馬力エンジンに換装したSP311が登場します。
これらのエンジンパワーアップに対し、前述のフレーム強化に加え、サスペンション(四輪リーフリジッドからフロンドダブルィッシュボーン、リア半楕円リーフリジッド)やブレーキ(四輪ドラムからフロントディスクブレーキ)、ギアボックスなども強化されてきますが、トラック用フレーム流用の限界が近づいていました。
最後を飾りZへの橋渡しとなったSR311とU20エンジン
フェアレディの最後を飾ったSR311では直列4気筒2リッターOHCエンジン「U20」を搭載して連装ソレックスキャブレターで145馬力を発揮、公称最高速度も200km/hを超えて205km/hに達します。
加速だけなら直後に登場するスカイラインGT-Rすら上回ると言われたSRフェアレディは、サスペンションの改良やフレーム強化を受けたとはいえダットサン・スポーツDC-3以来のトラック用フレームでそのパワーを受け止められるものではなく、ラフなアクセル操作だとまっすぐ進むのすら難しいと言われる、挙動がピーキーな「ジャジャ馬」となったのでした。
戦後すぐの混迷期から続いたクルマ作りの延長線上で、北米の道路事情に合わせたエンジンのパワーアップをひたすら繰り返してきた日本のスポーツカーはこのあたりでようやく曲がり角を迎えます。
エンジンだけではダメで、軽量なボディや優れたサスペンションなどトータルバランスも重要となってくるのです。
フェアレディはそれ以前の、ひたすらエンジンが先を往く時代の産物でした。
ここまで日産のエンジンと、それを搭載したスポーツカーばかり紹介しましたが、次回よりいよいよ別メーカーが登場です。
まずは1960年代前半なら避けては通れない、ホンダ・ツインカムエンジンをご紹介します。