おそらく永遠にメルセデスAMGエンジンしか使わないのでしょう。それはこのようなことが理由でした。
理由はこの男の存在があったから
あなたは今までなぜパガーニはメルセデスのAMGエンジンしか使わないのか不思議に思ったことはありませんか?
その理由が、Montery Car Weekのイベントの一つでもある Concorso Italianoにてパガーニ本人により語られています。
そこには伝説的なF1ドライバーであるファン・マヌエル・ファンジオの存在がありました。
ファンジオはパガーニという駆け出しの車のデザイナーがイタリアで仕事に就けるようランボルギーニに自ら推薦状を送るなどの働きかけをしたのです。
これが、1983年の出来事です。
その後、1992年にオラチオ・パガーニは自身の自動車会社を設立しました。
ファンジオはその設立当時もパガーニに開発のアドバイスをし続け、後にファンジオF1と名付けられる最初のスーパーカーの製造を実現させました。
ファンジオF1はメルセデス社のダイムラーV12から部品の供給をしてもらうように1994年に契約を結びます。
しかし、そんな折、1995年にファン・マニュエル・ファンジオは84才で他界してしまいます。
パガーニはその後製造した車をゾンダに改名し、4年後の1999年のGenova motor showでデビューを飾りました。
パガーニはダイムラー社とメルセデスAMGのエンジンをベースに使っている理由としてファンジオへの敬意を払うためだとAutoGuideに語っています。
1987年にアルゼンチンのF1ドライバーが当時の大統領の名前(名誉称号)が付けられた車をアルゼンチンメルセデスベンツのために運転しました。
もともとはファンジオがパガーニにダイムラー社のエンジンを使用するべきだと助言していました。
その小さな助言が現在ではスーパーカーを作り出す会社として世界的にも名を挙げることのきっかけになったのは明白です。
パガーニ氏は今までメルセデスAMGがどれほどパガーニの車を作り上げていく上で協力を惜しまず協力してくれたことなどを考え、自社製品のエンジンへの切り替えなどについては考えていません。
パガーニのAMGエンジンは今でもたった2人の熟練された職人がすべて手作業で作成されています。
パガーニのファンジオに対する敬意が今でもこだわりとなりメルセデスAMGエンジンを使い続ける結果となっているのです。