消滅した自動車メーカーその6は、オリジナルスポーツカーを作っていた「鈴商」です。
21世紀初頭の日本を吹き抜けた、熱い風
1960年代後半、初期の自動車業界再編によって現在まで続く自動車メーカーが生き残った後、しばらく新規参入が許されない時代がありました。
いくら自動車を製造・販売したくとも、運輸省(現在の国土交通省)が「現在自動車メーカーではないから」という、今考えると無茶苦茶な理由で、それを阻止していたのです。
しかし、1996年に光岡自動車が晴れて自動車メーカーとしての認可を受けると、それを前例として多くの小規模メーカーが参入を図るという、熱い時代が2000年代半ばまで続く事になります。
その多くが目指したのは、「少量生産だからこそ成り立つスポーツカー」。
量産車としては採算が取れないスポーツカーでも、既存メーカーから仕入れたエンジンを搭載し、衝突安全などの規制をクリアし、趣味性の高いデザインで小規模生産を行えば成り立つと考えられたのです。
愛知県名古屋市に存在した、株式会社鈴商もそんな新規参入のメーカーでした。

オリジナルスポーツカー「スパッセ」
損害保険代理店から身を起こし、輸入車や輸入パーツの販売を行っていた株式会社鈴商が、初のスポーツカー、スパッセを発売したのは2004年の話です。
スタイルは見たそのまんま、ケータハム(ロータス) スーパーセブンと同じスタイルを持つ(コピーではなく中身は異なる)「ニア・セブン」と呼ばれるジャンルのスポーツカー。
2リッター直4DOHCのSR20DEエンジンとミッションは日産 シルビアのパーツをそのまま使い、姿こそセブンに似てはいるものの、車体設計はCADを使ってゼロから行った完全オリジナルと言われています。
スパッセ以前には光岡がゼロワンという同じくニア・セブンを製造・販売していましたが、側面衝突安全性をクリアできなかったために2000年で生産終了。
その4年後に光岡がクリアできなかった衝突安全をクリアしてニア・セブンの認可を取得しようというのですから、完全オリジナル設計でなければならなかったのは当然でしょう。
名古屋の小さな自動車販売店にすぎない鈴商にとって、それは簡単な事では無かったはずですが、それを成し遂げた事だけでも偉大だったと言わざるをえません。
見事に国土交通省から型式認定「SH01」を受けたスパッセは、現在でも乗っている人を時々見かけますが、生産台数や現存台数は定かではありません。
未来を感じた、「スパッセV]の夢
続けて2009年の東京モーターショー09に「スパッセV」を出展、これは筆者も見に行きました。
マツダスピードアクセラ用の2.3リッター直4ターボエンジンを搭載し、270馬力で走らせるボディの重量はわずか850kg、パワーウェイトレシオはなんと3.14kg/ps!
現在で言えば、GT-Rほどでは無いにせよ、フェアレディZよりはるかに上。
鈴商自身も比較対象になるライバルはロータス エリーゼやエキシージくらいと考えており、国産車の中ではライバル不在のかなり特殊なクルマだったのは確かです。
シャシーやボディにはアルミやFRPなどの軽量素材を多用し、実物を見てもいかにも軽く、そしてものすごく低いスタイル。
スーパーカーのように前方上部に向けて開くポップアップドアも合わせ、実物は写真で見るより数段魅力的だったのです。
これで車両本体価格が500万円程度でしたから、2009年当時の不況さえ乗り切っていれば、あるいはかなり大人気になっていたかもしれません。
当時のメディアでも大きく取り上げられ、本当に販売が待ち焦がれていた1台でした。
突然の終焉
しかし、事態は急転します。
2011年7月9日、株式会社鈴商は突然休業。
経営者の体調が原因と言われますが、そのまま復活することなく、事実上廃業してしまいます。
ゼロワンに続く国産ニアセブンのスパッセの歴史はそこで終了し、夢のスポーツカースパッセVも、幻で終わってしまったのでした。
本当にあっけない終わり方をしたので、そのニュースを聞いた時は呆然としましたが、せめてスパッセVだけでも、製造・販売権がどこかに渡って世に出たら…と願いましたが、そういった話は聞こえてきません。
あれからもう5年が過ぎ、スパッセとスパッセV、そしてそれを開発した鈴商は、静かに人々の記憶から消えていこうとしています。
彗星のように現れ、そして消えていった自動車メーカーは星の数ほどあると思いますが、日本では鈴商がその代表的存在では無いでしょうか。
今でもスパッセVが市販されなかったのは本当に残念です。
ジムカーナ仕様やGT300仕様など、誰かプラモで作ってくれませんでしょうか。
次回は日本車キラーとして華々しく登場し、そして親会社GMの経営破綻であっけなく消えてしまった「サターン」をご紹介します。