ゼロ戦とランエボを手がけた三菱自動車

その反面、防弾性能をギリギリまで削り、撃たれ弱かったのでベテランパイロットが消耗する結果にもなりました。

ですが、増強された米軍の対空砲火を高速で突破できる数少ない手段として、爆弾を搭載して戦闘爆撃機にもなり、戦争末期には特攻機として多数が使われたのもまたゼロ戦でした。

このゼロ戦と迎撃戦闘機「雷電」の改良に次ぐ改良で三菱の戦闘機開発部署は多忙を極め、ゼロ戦の後継機となるはずだった「烈風」の開発遅延を招きます。

日本と三菱にとって、ゼロ戦とは栄光の証であり、そして限界の元にもなった飛行機だったのです。

再び自動車へ

太平洋戦争後、分社された旧三菱重工業の各工場は、さまざまな製品を作ります。

そのうちのひとつが三輪トラックで、水島工場が1946年から製造を開始した「みずしま」(のちの「三菱号」)、そして軽三輪トラックの「レオ」が、他の三輪・四輪のトラックとともに、戦後の復興と発展を支えました。

「三菱A型」以来42年ぶりの自社開発乗用車「三菱500」が誕生したのは、1960年(昭和35年)のことです。

その「三菱500」は通商産業省(現在の経済産業省)が1955年に打ち出した「国民車構想」に基づいて開発されました。

構想そのものが中途半端だったため、それに沿わない形で開発された「スバル360」やトヨタの「パブリカ」と比較すると見劣りしてしまった「三菱500」でしたが、国の政策に忠実という、三菱の特色をよく表した車とも言えたでしょう。

まとめ

三菱自動車は1970年に三菱重工業から独立し、かつての航空機用工場などをベースにした工場で作った「ギャラン」「ランサー」「パジェロ」などのヒット作にも恵まれます。

また、それらは国内・海外を問わず、ラリー競技などでもでも大活躍しました。

しかし、今ではラリーで数々の勝利を打ち立てた「ランサーエボリューション」の生産も終わりました。

「デリカD2」や「デリカD3」など、スズキや日産から供給されるOEM車が増えてしまい、自社製造の自動車もだいぶ減ってしまいました。

三菱自動車工業が、自動車によって、かつてのゼロ戦のような輝きをもう一度放てるよう、頑張ってほしいと思います。


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コメント:
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