ゼロ戦とランエボを手がけた三菱自動車

鉛筆以外は何でも作る

第二次世界大戦後、連合軍によって日本の航空産業は徹底的に解体されます。
特に軍需産業として大手だった三菱重工業と中島飛行機は財閥解体の対象となって会社ごとバラバラにされました。

そのうち中島飛行機は分社化された会社が統合して富士重工業(スバル)になり、統合しなかったうちの一社がプリンスとなって今の日産に吸収されます。

しかし、社名もそのままの「三菱重工業」として統合・復活したのが三菱でした。

以後、全く別会社の「三菱鉛筆」が作る鉛筆以外は何でも作るメーカーとして「三菱グループ」は躍進し、かつてと同じように戦車や飛行機、船も作っています。
もちろん、自動車もです。

日本初の量産自動車

三菱が初めて自動車を作ったのは1918年にさかのぼります。
三菱造船神戸自動車の一部門、後の「三菱内燃機」(現在の三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所)が開発した「三菱A型」です。

わずか22台の生産台数とはいえ、日本初の量産自動車となりました。

「三菱内燃機」は航空機製造メーカーとして設立されたので(後に「三菱重工業」に統合)、自動車事業がそれ以降発展する事は無かったのは残念です。

しかしその後の三菱は、戦車や軍艦とともに航空機も製造し、戦後の今に至るまで「国防」を社是のひとつとするメーカーとして成長していったのです。

歴史的名機の数々

自動車の開発と製造を打ち切った三菱内燃機、後の三菱重工業は航空機と航空機用エンジンの開発に打ち込みます。

「一〇式艦上戦闘機」などの「一〇式」シリーズで航空母艦に搭載する戦闘機や雷撃機、爆撃機の開発・製造に着手し、陸軍向けにも戦闘機や爆撃機を開発します。
このあたりの草創期のエピソードはジブリのアニメ映画「風立ちぬ」で実在の技師・堀越二郎を通して描かれていました。

最初は機体もエンジンも外国の模倣でした。

1936年(昭和11年)に採用された、海軍向けの「九六式艦上戦闘機」と「九六式陸上攻撃機」(どちらも「風立ちぬ」のクライマックスに試作機が登場します)でようやく日本の技術で成功し、諸外国と同等の機体開発技術を手に入れます。

同時期に1000馬力級の航空機用エンジン「金星」の開発に成功し、エンジン技術でも海外に並びました。

その後三菱のエンジンは「火星」や「瑞星」など、星の名前を冠したものが次々と登場します。
後の三菱自動車が「サターン」や「シリウス」(後の4G63・ランサーエボリューションにも搭載されたエンジン)と、星の名をつけた自動車用エンジンを開発したのは、航空機用エンジンからの伝統のようです。

空前絶後の名機「零戦」

1940年(昭和15年)、三菱重工業はついに「零式艦上戦闘機」の開発に成功します。
いわゆる「ゼロ戦」です。

艦隊防空のための長い滞空時間(結果的に長距離戦闘機としても使われました)、敵機を一撃で撃破できる重武装。
それに強力な上昇性能と旋回能力によって、ベテランパイロットが特性を理解した上で操縦すれば、終戦まで無敵を誇った戦闘機です。


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コメント:
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