現代ライトウェイトスポーツの始祖 初代「ロータス・エラン」がもたらした皮肉

DOHC1500ccエンジン(後に1600cc)を縦置きに搭載したFRのオープンスポーツで、ヘッドライトはリトラクブル式。
後のロードスターが当初「エランのパクリじゃないか」と嫌味を言われるのも仕方ないほど、エランは先を行っていた…いや、ロードスターが先祖帰りしたくなるほど完成されたパッケージだったのです。

ただオープンスポーツというだけでなく、初代エランはレースでも活躍しました。
日本でも日本グランプリなどビッグレースが始まったばかりの時期で、並み居る強豪外車に混じって初代エランもレースに参戦。
浮谷東次郎のドライブするエランのレース仕様「ロータス26R」が船橋CCCレースで優勝するなど、初期の日本人レースファンにも馴染みのある車だったのです。

初代エランは途中で固定ルーフモデル(フィクストヘッドクーペ)が追加されてオープンモデルは「ドロップヘッドクーペ」と呼ばれるようになり(コアなファンだと「オープンカー」と呼ばないらしい)、パワーウィンドーがついたり4人乗り(2+2)モデルが出たりと小変更が加えられながらシリーズ1からシリーズ4までが1975年までに13年に渡り生産されました。

二代目エランにまつわる・・・

その14年後に登場した二代目が、「まんま初代エランノキープコンセプト」と言えるロードスターに真正面から粉砕されたのは皮肉としか言いようがないのですが、二代目エランはFFスポーツとしては良好なハンドリングで、いい車だったそうです。

そうそう、二代目エランにエンジンを供給したいすゞは、その縁でロータスにジェミニやビックホーンのセッティングをしてもらった「ハンドリング・バイ・ロータス」モデルをリリースして市場からは好評を得ますが、そのいすゞまでも数年後には乗用車から撤退してもらうというオチまであったのでした。