日本車キラー
燃費が良くて走りも良く、ほどほどのサイズで使い勝手も良く、円高ドル安で価格的メリットが少なくなってからは高級感まで打ち出してきますし、アメ車はデカさとパワフルさでは負けませんでしたが、それが生きるピックアップトラックやSUVの分野以外ではいい所が無かったのです。
まして、それでアメ車が日本でもウケれば良かったのですが、日本人が買う輸入車はヨーロッパのブランド車ばかり。
アメ車と言えば「走らない・止まらない・曲がらない」の三拍子揃った上に燃費も悪ければ税金が高い、日本の狭い道では使いにくいと、趣味で乗ってる人以外には見向きもされなかったのです。
それを棚に上げて輸入障壁だと避難していた米自動車メーカーでしたが、さすがにそれだけでは日本車からシェアを奪えない事もわかっていたので、日本車キラーとなるクルマを開発していました。
米国内でシェアを取り戻せるなら、日本でも売れるはずと、勇躍日本市場に乗り込んでもきたのです。
それがクライスラー ネオンと、GMが立ち上げた新興メーカー「サターン」でした。
サターンディーラーの戦略は元祖「おもてなし」
GMはサターンブランドを立ち上げると同時にサターン車の新工場を建設、さらにディーラーも全く新しい形の店舗を用意しました。
それまでの自動車ディーラーといえば、男性ばかりを相手にして女性には敷居が高く、すぐに何か売りつけようとするセールスマンは誠実さに欠けて信頼できない…と、悪評が目立っていました。
そこで従業員教育や納車セレモニー、快適に過ごせる店内など、それまでの常識を覆すような自動車ディーラーを作り上げたのです。
現代で言うところの「おもてなし」の精神で、今の日本ではレクサス店が近いのかもしれません。
そうしてまず、来店する客を不快にさせない、リピーターを増やせるディーラー網構築に目処がついたところで、満を持して第1号車、「サターンSシリーズ」が1990年にデビューしたのでした。
ぶつけても大丈夫なボディや観音開きのドア
フロントマスクは印象に残るユニークなものでしたが、決して威圧感は無く、全体としては中性的なデザインのごく平凡な1.9Lの小型セダン/クーペ/ステーションワゴンです。
しかし、ボディの全てを鋼板で作るのではなく、ドアや外販の一部に樹脂パネルを使い、ちょっとした凹みなら勝手に戻るなど、非常に高い修復性を持っていました。
燃費や環境に優しい素材でホワイトカラー層にもアピールし、確実に支持を広げていたのです。
その評判は海を超えて日本に伝わり、「何か面白いクルマが日本車キラーとして売っているらしい。それは今までのアメ者とは違うようだ。」と、日本導入を望む声が高まりました。
日本車キラー再び
実のところ、サターンが日本に導入された1997年の前年には、同じく日本車キラーと言われた1.9リッターの平凡なセダン、クライスラー ネオンが日本に上陸していました。
しかし、エコノミーセダンとして人気を博したアメリカではともかく、日本では堂々たるミドルサイズセダンにも関わらずオートマが3速ATなど装備が貧相な事から大不評だったのです。
そこまで安直な作りでは無かったサターンは4速ATだった事もあって普通に日本市場でも受け入れられ、ディーラー網が貧弱ながらもそこそこ受け入れられました。
2ドアクーペの左側に、リアシートからの乗降を容易にする観音開きのリアドアを配した、変則3ドアなどは、後のマツダ RX-8(両開きの4ドアでしたが)などにも通じるものがあります。
日本でもちょっとしたサターンブームとなって街でわりと見かけるようになり、そのディーラーは国内メーカー系ディーラーもお手本にしたと言われたほどでしたが、、結局物珍しさが終わると一過性のブームに過ぎず、2001年にはわずか4年で日本から撤退してしまったのでした。
ああ、日本車キラーの夢は結局叶わず…。
なお、サターンの親会社であるGMも、提携していたトヨタでシボレー キャバリエというセダン/クーペをトヨタ キャバリエとして売ってもらっていました。
所ジョージのCMと、2.3リッター車としては超バーゲンプライス(最廉価モデルで150万円以下)だったにも関わらず鳴かず飛ばずで、日本ではサターンより先に廃盤になってします。
以来、日本に「日本車キラー」は上陸していません。
その後のサターン
それでも数種のクルマを販売継続していましたが、親会社のGMが2009年に倒産、その煽りを受けて2010年にはあっさりとモデル廃止されてしまいました。
日本車キラーとして生まれ、ディーラーのサービス精神に大きな影響を与えながらも最後はごく普通のGMの1部門として整理されてしまったサターン。
撤退から15年もたつと、知っていた人でもそろそろ忘れた人の方が多いかもしれません。
あのフロントマスクは個性的で好きだったのですが。