国産大衆車史その10・「ホンダ史上最大の失敗作・ホンダ 1300」

国産大衆車史その10は、ホンダのデビュー作でホンダ史上最大の失敗作であるホンダ1300です。


「強制空冷エンジンの高性能FFセダン」ホンダ 1300

1965年の東京モーターショーで、ライトバンのL700をベースとした初の大衆車、2ドアセダンのN800を展示したホンダでしたが、結局市販には踏み切りませんでした。

当時のホンダは自動車の販売網が貧弱で、大量生産・販売で開発投資を回収しなければいけないホンダの扱えるものではない、というのが理由です。
しかし、L700やピックアップトラックのP700が、スポーツカーS800のエンジンをデチューンして実用向きにしたにも関わらず、高回転型で不評だったことから、N800も結局同じ理由で販売不振に見舞われていたかもしれません。
しかし、次の機会でホンダがようやく市販した初の4ドアセダン/2ドアクーペは、やはり高性能と凝りまくったメカニズムが組み込まれた、実にホンダらしいクルマでした。
それが1969年に発売された、ホンダ 1300です。
スバル 1000(この頃は排気量アップしてff-1 1300Gがデビューしていた)と同様、室内スペースを最大限確保するためにFF(フロントエンジン・前輪駆動)レイアウトを採用していましたが、直列4気筒エンジン横置きは、今の目から見るとオーソドックスです。
すごかったのはエンジンで、強制空冷1.3リッター直4SOHCエンジンを搭載しており、4連キャブレター仕様は115馬力、シングルキャブレター仕様でも100馬力と、後の視点から見ても高性能なエンジンを搭載。
115馬力仕様搭載車は「99」、100馬力仕様は「77」いうサブネームがつき、それぞれ最高速度が199km/h、177km/hとされていたのが、由来と言われています。

凝りすぎたメカニズム

しかし、この高性能エンジンが大問題でした。

伝説のホンダ創業者であり、この頃はまだ現役だった故・本田 宗一郎 氏は、「水冷エンジンだってラジエターに空気を当てて冷やすのだから、空冷エンジンと同じだ。それなら空冷の方がラジエターなど無駄な装備がいらない」という考え方で、頑固な空冷至上主義者だったのです。
しかし、空冷エンジンには冷却機構だけでなく優れた排熱機構も不可欠で、高性能エンジンであればなおさらでした。
実際、ホンダ 1300のデビュー前年、1968年に登場したホンダの空冷エンジン搭載F1マシン、RA302も常にオーバーヒートに悩まされており、まともに走ることすらできないまま、初出場で大クラッシュして炎上、ドライバーも死亡してしまうという「ルーアンの悲劇」を起こしています。
そんな不吉な出来事の後だけに、ホンダ 1300は冷却に非常に気を使い、冷却風路をエンジン内部にも設けた、「DDAC」と呼ばれる一体式二重強制空冷方式を採用。
さらに油温上昇も防ぐため、強制的にエンジンオイルを循環させるドライサンプという、スポーツカー並の油冷方式すら採用していたのです。
しかし、その結果はオールアルミ製にも関わらず、排気量の割に異様に大きく重いエンジンとなってしまい、「水冷より単純で軽いエンジン」は、本田 宗一郎 氏の幻想に過ぎないことがわかっただけでした。
前年のRA302、そしてホンダ 1300のDDACエンジンの失敗をきっかけに、本田 宗一郎 氏は若手技術者からの突き上げで「頑固一徹な技術者」としての第一線から去る事になります。

ファミリーカーとしては最悪の操縦性

この重たいエンジンでFFでしたからフロントばかりが異様に重く、しかも標準タイヤの性能不足もあって、その操縦性は「FFの短所ばかりを集めたような」最悪の一言につきました。

エンジンが重すぎて過度のアンダーステアで曲がらない、かと思うとサスペンションが柔らかすぎるので、急激にイン側に回り込む現象を起こし、結果横転事故も多発したのです。
エンジンそのものは最強クラスだったので、スピードだけは速い典型的な「直線番長」でしたが、これだけ扱いにくいとスポーツカーとしてはともかく、ファミリーカーたる大衆車としては完全に落第点でした。
それでも待望のホンダ・スポーツセダン/クーペであり、一時は月販5,000台を超えるなどそれなりに売れましたが、悪評が広まるにつれて落ち込んでいき、ライバルがモデルチェンジして商品力が落ちると、完全に不人気車へ転落します。
途中の改良で操縦性はだいぶ改善されたものの、悪評が最後までついてまわり、水冷エンジンに換装したマイナーチェンジ版、ホンダ 145までパッとせずに終わったのでした。
それでもホンダが何とか現在の姿があるのは、ホンダ 1300の末期に登場した初代シビックが大ヒットしたからに、ほかなりません。
結局ホンダ 1300はホンダ大衆車の礎を築くでも無い珍車、史上最大の失敗作として今でも記憶されています。


次回はいよいよ1960年代最後の紹介です。
「長いトンネルを抜けた2台・2代目パブリカと初代コルトギャラン」をご紹介します。
 

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