業績悪化で会社の運命は風前の灯となり、フランスのルノー傘下に入った日産自動車。不要モデルとしてリストラされるはずだった新型Zを救ったのは、日産の救世主カルロス・ゴーン氏その人でした!
絶体絶命の日産と「フェアレディZ」
1990年代後半、かつてトヨタと並び、日本を代表していた自動車メーカー「日産自動車」は、戦前から続く長い歴史に終止符を打たれかけていました。
バブル景気直前に「90年代の技術世界一」を目指した「901運動」。
それにより生み出された、後に替え難い数々の名車達。
波に乗り次々と決行したモデルチェンジと新車の投入。
そのほぼ全ての惨敗。
1990年代初頭に黄金期を迎えた日産はわずか数年で創業以来最悪の危機を迎えたのです。
その中で、モデルチェンジはおろか、大規模なマイナーチェンジを受けるだけの開発余力すらも失い、生産中止の日をただ待ちながら細々と生産が続けられている一台のスポーツカーがありました。
「フェアレディZ」
かつて全米を興奮の渦に巻き込み、ラリーやレースでも大活躍したスポーツカーの最終モデルです。
「レーシングカーならスカイラインだけども、日産のスポーツカーならやはりフェアレディZ」とも呼べる存在の末裔は、日産自動車の終焉と共に歴史を閉じるのも時間の問題と思われていた時代だったのです。
救世主が愛した「Z」
1999年、万策尽きた日産に救いの手を差し伸べたのは、フランスの自動車大手、ルノーでした。
副社長であるカロルス・ゴーンがCEO(最高経営責任者)として日産に舞い降り、今後の日産の方針を表明します。
日産はルノーの世界戦略を実現するために共同開発などによりコストダウンを行うグローバルメーカーへ、そのために大規模なリストラと、車種の整理を明言したのです。
誰もがこの時、フェアレディZの命運は尽きたと考えました。
10年以上モデルチェンジも大規模なマイナーチェンジも行われず、北米市場からも撤退し、ほぼ国内専売車種として需要も無かったフェアレディZの居場所はどこにも無いと思われたのです。
実際、伝統の名車「スカイライン」は次期ローレルとして開発されていたコンセプトモデル「XVL」に統合されて全く異なる車として再出発する事が決まり、他の多くの車もブランド変更か消滅の末路をたどっていきました。
そして、いよいよZ32型フェアレディZも2000年、ついに生産中止が決まったのです。
しかし、その直後、カルロス・ゴーンは突然「フェアレディZ」および次期「GT-R」に対し、新生日産のイメージリーダーとしての開発続行にGOサインを出しました。
それまで誰も知りませんでしたが、フランスからやってきたカリスマ経営者は実はスポーツカーファンだったのです。
誰もが販売台数の見込めないスポーツカー開発の続行に驚きの声を上げたのに対して、カルロス・ゴーンは事もなげにこう反論しました。
「ハンドルを握って5分もすれば、どんな嫌なことも吹き飛ぶ、車以外にこんな製品がありますか?」
「フェアレディZ」再始動!
北米ミシュラン勤務時代の1990年代前半、カルロス・ゴーンの愛車はデビューしたばかりのZ32フェアレディZでした。
ビジネスシーンでの強烈なストレスにさらされていたゴーン氏を、フェアレディZはどれほど救った事でしょうか。
そして、そのゴーン氏が数年後、フェアレディZを生み出した日産自動車の再建を担う事など誰が予想したのでしょうか。
その後、奇跡のV字回復を果たし、今やルノーと対等の関係にありながらグローバルメーカーとして飛躍を続ける日産にとってはもちろん、フェアレディZにとってもそれは奇跡の出会いだったのです。
2002年7月、新型のZ33型フェアレディZが発表された時、壇上のカルロス・ゴーンは熱く語りました。
「新型フェアレディZの誕生は、全ての日産社員と関係者の喜びだ、そして“ズィーカー(Zカー)”の復活を誰よりも喜んでいるのは、他ならぬ私自身なのです。」
「かつてフェアレディZに乗って、東海岸の山岳地帯を走り回ったが、Zはワインディングに吸い付いて離れなかった。スポーツカーとはこうでなくてはならない。」
「日産を再生させるのにZは存続しなくてはいけないし、これからも日産にとって不可欠な存在なのです!」
新世代「Z」の活躍
新型の3.5リッターV6DOHC・VQ35DEエンジンが搭載された新世代のZは日本では「Z33型フェアレディZ」、北米では「ニッサン350Z」として販売が開始され、「帰ってきたZ」は日米で熱狂的に迎えられました。
日産は、全日本GT選手権やル・マンなどのモータースポーツにも復帰して、スポーツカーメーカーとしての魂も取り戻します。
1年ごとにバージョンアップを施す年次変更を日産としてほぼ初採用する事で常に最新モデルが提供されます。
2008年には初のモデルチェンジが行われて、3.7リッターエンジンに拡大した日本名「Z34型フェアレディZ」、北米名「ニッサン370Z」に発展しました。
2016年現在、6代目Z34もデビューから8年がたち、環境性能や自動運転に日産が力を注ぐ中で、現在は進化の優先順位が下げられている形です。
しかし、新技術発展の先には、必ずそれを生かした新たなスポーツカーが誕生します。
いずれ、新技術を誇る日産のイメージリーダーとして第3世代フェアレディZが登場する事でしょう。