ミニの誕生は突然に…アレック・イシゴニスの偶然が招いた奇跡

一瞬のひらめきがベストセラーに。
運命に引き寄せられたミニの誕生秘話をご紹介。


数学嫌いの技師が喫茶店で描いたスケッチがミニを生んだ。 アレック・イシゴニス

サー・アレグザンダー・アーノルド・コンスタンティン・イシゴニス。通称「アレック・イシゴニス」

名車の陰に名技術者あり。

しかし、あまりにも「名車」でありすぎると、他にも数多くの車と手がけながら、技術者として一発屋のように見えてしまう時もあります。

歴史的名車「ミニ」を開発したイギリスの自動車技術者、アレック・イシゴニスもその一人です。

「モーリス・マイナー」こそ我が誇り

「ミニ」以前の大衆車「モーリス・マイナー」の戦後型

http://ichiba.geocities.jp/seiyaa_desk/mmbb4.htm

1906年にオスマン・トルコのイズミルで生まれたアレックは、戦乱に追われるように移住したイギリスで大学を卒業し、自動車技師としてのキャリアをスタートさせます。

当時の技師のエピソードに大抵レースが出てくるのと同じく、アレックも第二次世界大戦前はレースで活躍しており、モーリス社に在籍していた1939年には車重わずか266kgという超軽量レーシングカーを製作し、750ccエンジンクラスで大活躍しました。

間もなく第二次世界大戦が始まりますが、当時のイギリスはかなり強気で、1940年の大航空戦「バトル・オブ・ブリテン」に勝利すると、早くも「戦後の民間交通」に向けた飛行機や自動車、船舶のプランを練り始めます。

それにイシゴニスも加わり、開発されたのがモーリス「マイナー」の戦後型モデルでした。

後にイシゴニスは「ミニ」の開発者として評価されている事実は認めながらも、自身としては「モーリス・マイナーの開発に加わった事が、自分の最大の誇りだった」と語っています。

実は「ミニ」の優先順位は低かった

「ADO17」シリーズの一台「モーリス1800MkII」。デザインが冗長で信頼性にも欠けたFF大型車としてヒットはしなかった

https://en.wikipedia.org/wiki/BMC_ADO17

1950年代半ばにはモーリスとオースチンが合併した「BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)」で新型車の開発に着手しました。

三車種の開発を手がけたイシゴニスですが、実はその中の「コンパクトカー」(後のミニ)の優先度が低く、大型の高級モデルと中型のファミリーカーが優先的に設計されています。

結果的には「ミニ」が最初にデビューしているのですが、同時期に開発され、しかも後述する事情により「ミニ」の後にデビューしただけあって、大型車「ADO17」も中型車「ADO16」も「ミニ」を大きくしたような車として完成しました。

「ADO17」については大柄なボディを活かせるメカニズムに乏しかったため成功作とは言えませんでしたが、ミニに匹敵するバリエーションが生まれてヒットした「ADO16」については、日本でも知られるモデルが存在します。

名車「ヴァンデン・プラ・プリンセス」を生んだADO16

ADO16版の「ヴァンデン・プラ・プリンセス」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9

「ミニ」の幅を広げ、リアにトランクを追加したような「モーリス1100」をはじめとする「ADO16」には、BMC傘下の各ブランド名で発売されたさまざまなモデルがありました。

オースチン1300GTやウーズレー1300、ライレー・ケストレルなどです。

それぞれ「ミニ」のシリーズで言うところの「オースチン・セブン」「ウーズレー・ホーネット」「ライレー・エルフ」の上位モデルに相当しますが、日本でもっとも有名なのは「ヴァンデン・プラ・プリンセス」、通称「ヴァン・プラ」でした。

「ミニ」と比較してADO16シリーズは日本ではあまり知られておらず、1960年代から1970年代前半まで生産されたにも関わらず、日本で「ヴァン・プラ」が流行したのはバブル時代の1980年代後半です。

コンパクトカーでありながら「ベビー・ロールス」「高級ホテルでは、ボーイがベンツよりヴァン・プラのドアを先に開けにくる」などと言われ、「小さな高級車」の先駆けとなりました。

当時のTVドラマ「刑事貴族」シリーズで水谷豊演じる本城刑事の愛車として活躍したほか、エンスー(自動車マニア)向けの漫画「GTロマン」等にも登場しますが、日本ではADO16が知られていなかったので、「ミニ」のシリーズだと思っていた人も多かったようです。

急ぎの注文が、ナプキンに「ミニ」を描かせた

後に日本のミニ販売店で配布された「ミニをスケッチしたナプキン」のレプリカ

http://dealer-blog.mini.jp/mini_niigata/2014/04/post-127.html

さて、先行して「ADO16/17」を開発していたイシゴニスでしたが、イギリスとフランスが管理していた中東の「スエズ運河」をエジプトが国有化しようとしたため、イギリス・フランス・イスラエルが共同でエジプトに侵攻した「第二次中東戦争」が1956年に勃発します。

その影響でイギリスでは中東からの石油輸入が滞って燃料費が高騰したのです。

そのため、BMCはそれまで優先順位の低かったコンパクトカーの開発を最優先にする事を決定しました。

そこで急遽「ADO15」のための設計図が必要になったのですが、大学時代に数学のテストで落第し続け、自動車技師でありながら大の数学嫌いとして知られたイシゴニスはユニークな方法を取りました。

喫茶店でナプキンにスラスラとペンを走らせ、小さな一枚のスケッチを書いたのです。

何とそのスケッチがADO15として採用され、後の「ミニ」になります。

一枚のナプキンが、一人の技師の運命と、「大英帝国」として没落寸前だったイギリスの自動車産業を、大きく変えた瞬間でした。

同種のエピソードはベストセラーにしばしばある「伝説」

http://wallpaperswide.com/old_mini_cooper-wallpapers.html

実は「急場しのぎの急ぎの注文」として生まれ、数十年にわたるベストセラー「ミニ」を生み出したイシゴニスですが、似たようなエピソードでベストセラーになった例は他にもあります。

例えばイギリスでは第二次大戦中、主力戦闘機「スピットファイア」の改良型を続々と送り出しましたが、入念に設計されたモデルより「とりあえず急場しのぎの間に合わせ」で簡素な改良にとどめたモデルの方が性能がいい事がしばしばありました。

また、アメリカの航空機メーカー、ダグラス社(現在はボーイングに吸収)には「エド・ハイネマン」という名設計士がいました。

彼が苦労して設計した次期攻撃機がキャンセルとなり、悔しいので滞在していたホテルでスケッチ程度の新設計図を一晩で書き上げたところ軍に採用され、30年以上活躍する名機「スカイレーダー」になったという伝説もあります。

「名作は長年の苦労と、一瞬のひらめきで生まれる」ような話が多いのですが、アレック・イシゴニスも喫茶店で書いた一枚のスケッチで、歴史に名を残す一人となったのでした。

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