いすゞの乗用車の歴史を振り返る
現在、「いすゞ」といえばトラックに代表される商用車の専業メーカーで、乗用車のイメージはないですね。
事実改めて企業情報を調べても乗用車の存在は確認できません。
ですが、そんないすゞもかつてはかなり「尖った」クルマを作っていた立派な乗用車製造メーカーだったんです。
日本は急速な戦後復興に成功し、1956年(昭和31年)この年、経済白書に「もはや戦後ではない」と記されました。
皆さんもこの言葉は日本の近現代史で学んだはずです。
その言葉を裏ずけるように、自動車(二輪を除く)の保有台数が、100万台を超えたのもこの年です。
まさに国産乗用車が夜明けを迎えた記念すべき年でもあった訳です。
クラウン、スカイライン、ブルーバード、セドリックなど国産車の歴史に名を刻み長く愛される名車が、1950年代後半から60年にかけて相次いで発表されます。
日本のディーゼル乗用車のパイオニア「ベレル」の誕生
そして「いすゞ自動車」は、1961年、ベレルを完成。そのボディデザインは、「クルマの走り去るカタチをそのままに、流れるようなイメージ」をコンセプトに作られました。ガソリンエンジンの他に、わが国初の本格的ディーゼルエンジン車(1,991cc 55PS)を発表。1963年、べレルディーゼルは「37年度日本機械学会賞」を受賞し、日本におけるディーゼル乗用車のパイオニアとして、「独創的かつ優秀な技術製品」と最大級の賛辞の言葉を受けることになったのです。
そしてベレルは、発表に続き、10月22日から第8回全日本自動車ショー(会場晴海)に展示され、話題を集めることになります。
無個性な車はつくらない」と言い切ったいすゞの最高傑作!「117クーペ」
時代は進み60年代後半には乗用車の生産台数がついにトラックを追い抜きます。そしていすゞにとって記念すべき年となる1968年、自動車デザイン史に大きな足跡を残し、今もいすゞの車づくりにその命脈が息づく、イタリア・ギア社のジウジアーロのデザインによる名車117 クーペがデビューします。エレガントなスタイルでありながらスポーツマインドを存分に感じさせてくれる117クーペは、高級パーソナルカーの代名詞となりました。
まさに「個性化の時代」がここに始まったといえるでしょう。1966年3月のジュネーブショーで発表され、コンクール・ド・エレガンスで優勝。さらに同年秋の東京モーターショーでも賞賛を博しました。エンジンはDOHC1600cc、120馬力、最高速度200km/h。当時としてはスペックもかなり魅力的です。