国産エンジン史スポーツカーその14は、それまで日本には存在しなかった「大排気量DOHCエンジン」の登場です。
かつてDOHCといえば、スポーツカーのものだった
1980年代以前の国産車では、シリンダーあたり2本のカムシャフトで、それぞれ吸気・排気のバルブを駆動するDOHC(ツインカム)エンジンと言えば、「スポーツエンジン」でした。
ホンダのように軽トラやライトバンに搭載するケースもありましたが、それは他のエンジンが無かったからでもあり、SOHCエンジンが登場すればそれに切り替えています。
トヨタ 2000GTの輸出型やフェアレディZ(240Zや280Z)など2リッター以上のスポーツカーもありましたが、それらはSOHCエンジンだったのです。
すなわち、80年代前半までは以前にも紹介した「ターボかDOHCか」と同様に、「大排気量SOHCか小排気量DOHCか」という時代でもありました。
初の2リッター超えDOHC、トヨタ 5M-GEU
初代セリカXXや、クラウン2ドアハードトップという高級GTに搭載されていた2.8リッター6気筒SOHCエンジン「5M」にDOHCヘッドを搭載、一気に25馬力ほど出力アップしました。
170馬力と言えば後には1.6リッターNAでも楽々達成した数値です。
しかも当時は「グロス値」という、車両に搭載した場合の負荷を考慮しない、エンジン単体での馬力ですから、それを考慮した現在の「ネット値」より15%ほど馬力が高く出る時代でした。
ですから、現在のネット値で言えば、わずか145馬力という事になります。
それでも、後に登場した2リッター6気筒DOHCの「1G-GE」がグロス160馬力(ネット136馬力)だった事を考えれば、十分にハイパワーだったのです。
大トルクと高回転高出力の両立
しかし、大排気量DOHCエンジンには、そうした2リッタークラスまでのDOHCエンジンには無い魅力がありました。
そう、大排気量エンジンによる太いトルクを活かした、余裕のある走りです。
それまでのスポーツエンジンと言えば「高回転まで回せばハイパワーだが、逆に言うと回さなければ普通のエンジン、あるいは低速トルクがスカスカで、それ以下のエンジン」でした。
ターボチャージャーの登場はそれをある程度補いましたが、タービンが回らないと余計にパワーダウンし、さりとてタービンでブーストをかければ燃費が極悪でしたから、当時のターボは抜本的な解決策になりえなかったのです。
それが大排気量エンジンであれば低回転から十分なトルクがありますし、DOHCヘッドを載せているので、高回転までスムーズに吹け上がります。
ある程度の大きさ、重量を持つスポーツカーやGTカーでは、排気量が大きい方が有利なのでした。
トヨタM型最後を飾った7M-GTEU
いわば「トヨタの高級ハイソカーや高級GTカーの定番エンジン」になったのです。
これは高級車や上級グレードに積極的にDOHCエンジンを搭載、その静粛性やパワーで販売力を高める事に大きく貢献し、後にあらゆるクルマにDOHCエンジンが搭載されていくキッカケとなりました。
そして最終的には3リッター直列6気筒DOHCツインターボの7M-GTEUへと発展。
1986年に「トヨタ3000GT」のキャッチコピーと共にデビューした初代スープラ(日本では初代ですが、海外では初代セリカXXからスープラを名乗っていたので、実質3代目)と2代目ソアラに搭載されてデビューします。
大排気量DOHCターボという新境地を開いた7M-GTEUは、1965年の2代目クラウン以来長く使われてきたトヨタM型エンジンの最後を飾り、後に日産「RB26DETT」と並んで国産直6スポーツエンジンの名機となるJZ系エンジンへと続いていきました。
1980年代前半というのは面白い時代で、現在のように各社横並びで同じようなエンジンを作るのではなく、各社で特徴がありました。
大排気量DOHCエンジンも1990年代に入るまではトヨタの独壇場だったのです。
次回はそんな大排気量DOHCとは逆に「小排気量スポーツ戦線異常あり」をご紹介します。
1,300cc以下のスポーツモデルで、1980年代前半は各社どのような対応を取っていたのでしょうか。