【日本の自動車産業の歴史】消えていった自動車メーカーたち

かつては自動車産業を盛り上げていたが、現在は退いたメーカー。
そんなメーカーをご紹介。


1960年代の夜明け

日本に自動車産業というものがようやく根付きだし。それまでの自転車屋やバイク屋の延長みたいな零細自動車メーカーが工場を畳み。
それでも通産省(今の経済産業省ですね)が「このままだと自動車メーカーが多すぎて、欧米に対抗できなくて潰されちゃうよどうしよう?」と心配しまくった挙句に、メーカーの合併を丁寧にお薦めしまくっていた時代。
そして、それでもなお今の自動車産業の原型と呼ぶには、まだまだ紆余と曲折を経なければいけないぞ、とばかりにまだまだ参入を狙う企業が多かった時代。
そのような混沌から抜け出すキッカケになったのが、1960年代でした。
その頃の自動車、それも乗用車のメーカーは、試作車の製作で終わったものを含めても実に18社!
たとえ僅かでも量産車を送り出したメーカーだけでも16社もあるんです。
通産省のお役人さんじゃ無いですが、やはりちょっと多すぎたのかもしれませんね?
自動車産業発展の第一歩で消えていったメーカーを、最初に振り返ってみましょう。

かつて自動車を作っていた企業

その頃の自動車メーカーの中には、既に自動車とは関わらない分野に転身した企業もあります。
日本が世界に誇る軽四輪駆動車「ジムニー」の原型を作ったホープ自動車は、今では遊具会社の「ホープ」になっています。
今では農機具メーカーとして知らない人もいないヤンマーは、60年代に日本では空前絶後のディーゼル軽自動車を販売していた事もありました。

今でも自動車に関わっている企業

いつまでも忘れられない企業

ユニークな「ガスデンミニバン」を開発し、販売まであと一歩だった富士自動車は、社名や業態の変更、合併を繰り返して、今では完全に建機メーカーのコマツの一部門になっています。

そして忘れられないのがプリンス自動車。
レースではスカイラインGTやR380でポルシェと真正面から渡り合い、皇室には専用車「プリンスロイヤル」を開発し・・・・それでも経営悪化の末に日産自動車に吸収されてしまった、経済産業省の政策成功の数少ない例。
それでも日産の車内でプリンス魂は生き続け、数少ない国産スーパースポーツ「GT-R」にまで受け継がれています。
いかがでしたか?
「昔はそんなに車を作っている会社があったのか!」と驚かれたかもしれませんね。
仮にその頃の全てのメーカーが何らかの形で自動車を作り続けたとしても、後のイギリスのように結局はほとんどの零細メーカーが消える運命だったかもしれません。
でも、個性的な自動車が少ないながらも毎年のようにどこかから発売されたり、昔の車が根強いファンのおかげでいつまでも作られていたり、そんな世の中を想像してみるのも、楽しいかもしれませんね。

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