小ベンツや赤坂サニーと呼ばれた190E
第二次世界大戦後の日本で輸入車が解禁されて以降、販売店であるヤナセの努力で高級車として認められていたメルセデス・ベンツ車。
1980年代中盤のバブル景気到来とほぼ同時という絶妙なタイミングで日本に導入された190Eは、その中でも画期的なモデルでした。
それまでのベンツが大型大排気量車がメインだったのに対し、エンジンは2リッター未満でボディも小さく、5ナンバー登録が可能だったのです。
当時は3ナンバー車の税金が非常に高い時期でしたし、小さくともベンツの高級感は全く損なわれていませんでしたから、190Eは日本で大ヒットとなりました。
その結果、街のどこでも見かけるようになって、それまでのベンツとの違いから「小ベンツ」と呼ばれたり、BMWが「六本木カローラ」と呼ばれたのと同じく「赤坂サニー」と呼ばれています。
この190Eこそが、その後の日本市場でフォルクスワーゲンともどもベンツを輸入車としてだけでなく、自動車として一般的にした立役者でした。
DTM用ホモロゲーションモデル、190E2.3-16登場
一方、ヨーロッパではこの190Eに2.3リッターSOHC4気筒エンジンを搭載した190E 2.3をベースに、DTMに参戦するためのベースマシンが開発されました。
イギリスのコスワースにチューニングが依頼されたエンジンはDOHC16バルブヘッドが載せられ、135馬力から175馬力へとパワーアップ。
グっと低めた車高にエアロパーツが装着され、日本の風景にも溶け込む「乗用車」となっていた190Eとは全く異なる「凄味」を発散していたのです。
DTM出場のためには一定の生産・販売を行う必要があるため、日本を含む各市場でも販売されたその名は190E 2.3-16。
1986年のDTMから投入されて早速2勝、1988年にも4勝を上げるなど活躍し、メルセデス・ベンツが1955年のル・マン24時間での大事故によるモータースポーツ撤退で失っていたスポーツイメージを取り戻す、大きな原動力になりました。
190E 2.5-16エボリューションの快進撃!
DTMの規則改正に合わせ、1988年には排気量を2.5リッターに上げて200馬力にパワーアップした190E 2.5-16が登場。
それをベースにレース用のグループA規格を満たすため、さらに手を加えたエボリューションモデルが1989年に登場しました。
「エボリューションモデル」と銘打ったモデルとしては日本だと1993年の三菱 ランサー・エボリューションが初ですが、それに先んじること4年のことです。
最初の190E2.5-16エボリューションIは231馬力へとパワーアップされ、DTMで1989年に5勝、1990年途中からはさらに235馬力のエボリューションIIへ進化して4勝。
1991年にも4勝を上げ、以後第1期DTM最後の年となる1996年までの7年間に5回のマニュファクチャラーズタイトル(メーカータイトル)を獲得しました。 もちろんレース仕様は市販車と異なり375馬力程度発揮しているレーシングチューンが施されていましたが、市販バージョンでも十分ハイスペックです。
どちらもグループA規定により500台が生産されたエボリューションIの日本正規導入はわずか3台でしたが、エボリューションIIはより多くの台数が輸入されたと言われています。
もし、「妙にシャコタンでゴツイフェンダーをつけて、エアロで武装している190E」を見たことがあれば、それはもしかすると190E 2.3 / 2.5-16か、そのエボリューションモデルかもしれません。
90年代半ばまで割と硬いイメージのあったメルセデス・ベンツですが、そのようなスポーツモデルが当時から存在したことを、覚えていても良いでしょう。