三菱のさらなるステップは正攻法
1960年デビューの三菱 500以来、他メーカー同様に大衆車を追求してきたはずが、「あまりに質素すぎてあからさまに”国民車”では、大衆が納得しない」という壁に阻まれてきた三菱自動車。 トヨタ パブリカともども、「コルト」シリーズで惨敗を喫してきましたが、1969年デビューのコルトギャラン(初代ギャラン)でようやく、大衆が真に求める大衆車にたどりついたと言えます。 ただ、それはあくまでコルトシリーズの中でも比較的排気量の大きかったコルト1500後継としての話。 1.3~1.7リッターエンジンを持つギャランの下では、1.1リッターエンジンのコルト1100Fが相変わらず苦戦を強いられていました。 トヨタ カローラ、日産 サニー、スバル 1000といった同期の他社ライバルがユーザーに好評だったのに満足せず、排気量アップと豪華装備のデラックス路線でアピール。 マツダも2代目ファミリアにロータリーエンジンを搭載してスポーツ路線をアピールするなど差別化まで進んでいたのに対し、コロト1100Fの地味っぷりが際立っていたのは否めません。 しかも2ドアのファストバックスタイルは既に普通のトランクを持つノッチバック4ドアセダンも当たり前に登場していた大衆車の中にあって、使い勝手も良好とは言えませんでした。 しかし、それらのハンディを全て覆し、一気にひっくり返す形で登場したのが、スタイリッシュな初代ランサーです。 結果的に、ギャランの次はその下の大衆車もしっかり確保して、次第に軽自動車ミニカとの差を埋めていくという、堅実路線をとりました。
スポーティでスタイリッシュな2 / 4ドアセダン、初代ランサー
1973年2月に登場した初代ランサーは、ライバルの何が優れているかを理解し、コルトギャランの1ランク下でユーザーが満足できる車を追求したという意味で、それまで「三菱が信じる車を作ってきた」ようなコルトシリーズと一線を画した大衆車でした。 ライバルと肩を並べる1.2~1.6リッターエンジンを搭載。 ボディサイズ、ホイールベースともギャランよりひと回り小さく小回りの利く2ドア、あるいは4ドアで、ちゃんと使いやすく商用イメージの無い独立トランクのついた、スタイリッシュなセダンに仕上がっています。 しかもデビュー直後にはラリーなど競技ベース車となるホットモデル「1600GSR」を追加。 十分な動力性能、良好な使い勝手、実際より大きく見える存在感のあるスタイリッシュなボディ、パワフルなスポーツモデル、これらは全て従来のコルト1100Fに欠けていたものでしたが、初代ランサーで見事に「脱皮」を成功させました。
ラリーでの活躍で、スポーツイメージも確立
それだけではありません。 コルト時代から参戦していたラリーでも大きな実績を残し、後の世でギャランVR-4やランサーエボリューションの活躍で歴史に名を刻んだ「ラリーの三菱」としての存在を、最初にアピールしたモデルでもあったのです。 コルト時代はあくまで参戦にとどまっていたオーストラリアのサザンクロス・ラリーでデビュー年早々に総合1~4位を独占する活躍を見せると、翌年にはサファリラリーに参戦します。 それまで日産がブルーバードやフェアレディZで活躍していたことで、スポーツイメージを高める絶好の場として各メーカーがしのぎを削っていた同ラリーで活躍することは、今で言う「ニュルブルクリンクで同クラス最速!」と同じ意味を持っていました。 1974年のサファリは当時ラリーの王者だったポルシェ911をはじめ、並み居る強豪の中に混じっての参戦でしたが、なんと「初参戦にして初優勝」という偉業を成し遂げます。 しかも、1976年にも同ラリーで総合1~3位を独占する圧倒的勝利を挙げましたが、その時のライバルはスーパーカーのランチア ストラトスでした。 単に速いだけではなく、十分な信頼性、耐久性を持たなければ勝てないサファリラリーでの実績は大きく、初代ランサーはDOHCエンジンもターボも持たないまま、小型スポーツセダンとして不動の地位を確保しています。 それまでノーマークだった三菱から強力なライバルが登場したことで、1.2~1.6リッタークラス大衆車は、役者の揃った大激戦となっていったのです。
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