コロナマークIIを追うはずだったブルーバードU
日産がかつて誇った人気車種、ブルーバードの中でも歴代モデル最高傑作としてFR最後の910型と並び称される510型ブルーバード。 大好評で北米でのセールスも好調だったにも関わらず、日本国内市場でトヨタ コロナと激闘を繰り広げていた「BC戦争(ブルーバード・コロナ販売競争)」で勝利を得るには至らなかったという、栄光と挫折を併せ持ったような名車でした。 かつての日産車の宿命というべきか、トヨタに振り回されたブルーバードでしたが、1960年代末期にトヨタがコロナの上級車種、コロナ・マークIIをデビューさせたことで、迷走してしまいます。 510型の後継として開発された610型は車格を上げて「ブルーバードU」を名乗り、コロナ・マークIIを追撃する形となりました。 それまで1.2~1.8リッター直4エンジンを積んでいた大衆車が、上級グレードでは2リッター直6を積む車になってしまったのですが、これは明らかに失敗でした。 販売店からはコロナの対抗馬がいなくなると不安の声が上がったため510型の販売を継続し、コロナマークIIの対抗馬としては、既に旧プリンス系と言える初代ローレルが誕生しています。 そもそも最初に発売されたのはローレルでその後追いでコロナマークIIが、さらにその後追いでブルーバードUを出してしまったのです。 ブルーバードUは最初から存在意義が薄かった上に、旧ブルーバードの継続販売を余儀なくされ、コロナとの販売競争で隙を見せてしまいます。
ブルーバードの後継?710型バイオレットが登場
そこで1973年、510型ブルーバードの後継として、新車種「バイオレット」が誕生しました。 新車種とはいえ510型ブルーバードは、610型ブルーバードUに続く710型という型式を与えられたバイオレットは実質的にブルーバードそのものでスポーツグレードの「SSS」も設定されています。 ただし、車格こそ同じものの、「スーパーソニックライン」と呼ばれる直線的なボディラインが好評だった旧ブルーバードである510型とは一転、アーモンドのように丸みを帯びたボディが保守層には不評でした。 ブルーバードUも大きく重く曲線的、かつ直6エンジンを搭載したロングノーズ車はアメ車風デザインでサメのように見えることから「サメブル」と呼ばれ、これも保守層からの支持を得ることはできませんでした。 結果的に、コロナマークIIをデビューさせたトヨタに完全に振り回された形でブルーバードU、バイオレットともに失敗作となり、世代交代は完全に失敗してしまいます。
BC戦争の異端児、マイナーチェンジ版711型と2代目A10型で巻き返しを図る
マイナーチェンジでデザインを保守的に変更した711型が1975年に登場しても人気は回復せず、510型でだいぶ巻き返していたはずのBC戦争は、その異端児バイオレットによって完全に勝負あった形になりました。 それでも510型を生産終了していた日産はまたすぐブルーバードに戻すわけにもいかず、結局次期ブルーバード(810型)が元サヤに残る形で1976年7月にデビューするまでわずか3年半、710型バイオレットは「たぶんブルーバードの後継?」を演じただけで終わってしまいます。 ただし、810型ブルーバードは名前こそ戻ったものの車格はブルーバードUと変わらず、バイオレットは引き続き2代目A10型として旧ブルーバードの後継を担いました。 ボディデザインは510型を彷彿とさせる角ばったものに回帰したので、今度こそ510型ブルーバードの後継そのものです。 ただ、1977年にA10型バイオレットがデビューしてわずか2年、短命に終わった810型ブルーバードが910型にモデルチェンジして直6エンジン搭載モデルを廃止、車格を下げてきます。 そうすると今度はバイオレットの居場所が無くなり…という繰り返しが3代目まで続き、歴代バイオレットは日産の混乱の中で生まれ、さらに混乱させるだけで終わりました。
なぜバイオレットは失敗したのか?
このような混乱はなぜ起きたのでしょうか? 一説には日産の中で旧プリンスとの争いを止められず、ローレルと車格のかぶるブルーバードUを生み出してしまったのがそもそもの原因とも言われます。 旧プリンス開発陣の息の根を止めるべくブルーバードUを繰り出したものの、販売面から見ればコロナ対抗馬はどうするんだという話になり、バイオレットを生み出したもののブルーバードほどのブランド力を持つことはできませんでした。 初代、2代目のバイオレットは旧ブルーバード510型に次いでレースやラリーでDOHCエンジンやDOHCターボエンジンを搭載して大活躍しましたが、ブルーバードやシルビアに比べて今や全く知名度が無く、ブランディングに完全失敗していることがわかります。 結局、バイオレットはただのマイナー車になってしまい、ブルーバードは迷走のあげく一方的にそのブランドイメージを落としただけで終わりました。 日産はその後も1990年代によくわからない車を連発して経営危機に陥り、ルノーに救済されて今に至りますが、その迷走ぶりは1970年代前半から既に始まっていたということでしょう。
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