自動車を購入するとき、好きな自動車メーカーやスペックを気にしてみたり好みのデザインのものを購入したりすると思います。しかしほとんどの場合は車を購入する際にどのメーカーの車を選べばいいかわからないそんな人が多いかもしれません。初めて車を購入する方や車についてあまり知識のない方は特にわかりにくいように感じている人が多いと思われます。各自動車メーカーの生産している製品はさまざまな特徴があります。歴史も深くメーカーの歩んできた道を知ることでどのような車を世に送り出してきたのかがわかります。その各社持ち合わせている特徴を吟味し、消費者のライフスタイルに合った車を選び購入することで初めていい買い物ができるのではないかと考えています。今回は数多くの自動車の中からマセラティについて紹介していきたいと思います。
マセラティとは?
マセラティはイタリアに本社を持つ高級スポーツカーを製造しているメーカーです。トライデントのエンブレムで有名なマセラティの歩んできた歴史はどのようなものでしょうか。
マセラティの設立

イタリア北部にあるピアチェンツァ出身の鉄道機関士ロドルフォ・マセラティには6人の息子がおり、長男のカルロ・マセラティはイソッタ・フラスキーニやビアンキといったレースチームでエンジニア兼レーサーとして活躍しました。次男のビンドと四男アルフィエーリとと六男のエットーレの3人もイソッタ・フラスキーニで働いていました。のちにカルロが病死し、兄譲りの才能を持っていたアルフィエーリを中心にエットーレ、エルネストのマセラティ3兄弟は独立し、1914年にボローニャで自動車工房のソシエータ・アノニーマ・オフィチーネ・アルフィエーリ・マセラティを開業しました。1926年にデビュー戦でクラス優勝を果たしたマシンのグリルには芸術家となった五男のマリオがデザインしたトライデントのバッジがつけられていました。エンブレムに使用されているトライデントはマセラティ創業の地ボローニャのシンボルの一つであるネプチューンの噴水に因み、ネプチューンの持つトライデントがモチーフとなっています。
経営難に追い込まれたマセラティ

1966年にフランスの自動車メーカーのシトロエンと業務提供し、シトロエン・SMにDOHCV6エンジンの開発を受託していました。経営難に苦しんでいたマセラティは株式の60%を売却し、1968年にマセラティはシトロエンの傘下となりました。この時代に発表されたミッドシップスーパーカーのボーラにはシトロエン名物のハイドロニューマティックという油圧作動システムを搭載していました。その後オイルショックの影響などでシトロエンの業績悪化でプジョー傘下となりますがプジョーはマセラティとの契約を破棄し破産寸前まで追い込まれてしまいます。その後スポーツカーメーカーのデ・トマソが産業再生機構の資金を使用しマセラティの経営再建に乗り出しました。その後デ・トマソの手から離れたマセラティはフィアットやフェラーリなどを渡った後、アルファロメオと統合し現在に至ります。

マセラティが生み出した名車
マセラティが誕生してから長い年月が経ちましたがその中で数々の名車と呼ばれる車が誕生していきました。マセラティの生み出した数々の名車の中から一部抜き出して紹介していきたいと思います。
マセラティ・3500GT

マセラティ・3500GTはマセラティが初めて量産した高級スポーツカーです。マセラティは3500GTが登場するまでオーダーを受けてから製造するワンオフカーのような要素の強いメーカーでした。当時のスポーツカーは速く走れるものの信頼性の低さや値段の高さが問題でした。そこに目をつけたマセラティのトップ、オメル・オルシとチーフエンジニアのジュリオ・アルフィエーリの「速くて安心して乗れるグランツーリスモを量産車で実現する」という構想の元開発されました。1957年に発表された後1958年に生産が開始されました。
マセラティ・ギブリ
