超小型車の時代・その2「戦後初期日本のバブルカー」

最近はカーシェアリング用などのシティコミューターとして注目されながら、意外と旧い歴史を持つ「超小型車」。かつてのサイクルカーやバブルカーのようなクルマは戦後の日本自動車史の初期にも登場します。


一種の「超小型車」オート三輪

CCライセンス 表示1959 Daihatsu Trimobile by Hugo90-

現在でもタイのトゥクトゥクに代表されるように世界中で多数が走り続けている「オート三輪」は、日本における「超小型車」の始祖と言えます。

1910年代に登場した初期のオート三輪は前方に荷物を載せる前二輪、後一輪でしたが、後に安定性向上のため前一輪、後ろ二輪のおなじみのスタイルに進化しました。

後に日本で三輪自転車が登場した時も同じような進化をたどりましたが、どうも最初は前に荷物を置いて、荷物が見える安心感が先に立つのかもしれません。

ともあれ前一輪となったことでオートバイの後半をリアカーにしたような簡易構造ながら高い積載能力を持つようになり、戦後にはキャビンを設けて快適性の向上や、自動車同様の丸ハンドルを設けて並列二名乗車を可能にしたり、2000ccクラスの大型三輪トラックまで出現しました。

その高い積載性から、荷台の代わりにキャビンを設けた三輪タクシー「トゥクトゥク」が現在でもタイで健在な姿を見ると、これも超小型車の一種という実感がわきます。

戦後初のバブルカー、ダイハツ「Bee」

一方、それら「オート三輪」とは別な超小型車の開発も戦後日本では進められていました。
三輪とはいえ軽自動車規格とはまた別に、自動車としてはもっと簡易な三輪車でしたが、オート三輪と大きく異なる特徴を持っていたのです。
オートバイ類似の機構にパイプフレームなどで簡便な構造を持っていたオート三輪に対し、乗用車として快適性を重視したキャビンを持つため、バブルカーはパイプフレームに被せたものではない本格的なボディを持っていました。
そのため、バブルカーとはいえ、戦後初期の日本のそれは「より自動車に近い」と言えたかもしれません。
その第一号が1951年登場のダイハツ「Bee」で、前一輪、後二輪の三輪乗用車です。

エンジンは804ccの水平対向2気筒エンジンだったので、超小型車にしては豪勢でしたが、ボディも前一輪に合わせて前方にすぼまる流麗なボディに、四輪乗用車と比較しても遜色の無い立派なキャビンを持っていました。

1年の間に300台ほど作られた「Bee」は主に大阪でタクシーとして使われましたが、三輪車としては大柄でホイールベースが長かった事から、トップヘビー気味でカーブなどでの安定性は悪かったと言われており、本格的な四輪乗用車がタクシーとして登場すると、すぐに姿を消したのです。

世界初のFRPモノコックボディ量産車「フジキャビン」

CCライセンス 表示Fuji Motors Fujicabin Model 5A, 1955 by kemeko1971

後にイギリスのスポーツカー「ロータス・エリート」が採用するよりも早く、世界で始めてのフルモノコックFRPボディ量産車として工業遺産的な価値も高い「フジキャビン」ですが、これが日本初のバブルカーと言えるでしょう。

ダイハツ「Bee」より数年遅れでデビューした「フジキャビン」でしたが、オートバイ用125ccエンジンを搭載して乗員2名、車重わずか130kgのため大人が端を持ち上げて方向転換させる事すら可能と言う超軽量・超小型車です。

軽量FRPのボディを持っていて前二輪・後一輪というレイアウトでハンドルで操作するという以外は駆動系やミッションなどがオートバイの機構に近く、自動車ではなく「キャビンスクーター」として宣伝されました。

いわば当時はまだまだ高価だった自動車の購買層というより、オートバイからの乗換え組を狙ったような車で、現在でいうとインドのタタ・モータースが開発した超低価格車「ナノ」と似たようなコンセプトです。

ただし、あまりにも作りが簡便すぎて当時の日本の悪路をいなすためのサスペンションさえ不備で、そのため路面からの衝撃をマトモに受けたFRPキャビンが簡単に割れたり破損するなど、理想と現実の乖離に苦しんだ車でもありました。

マトモなサスペンションを持っていれば、あるいはそれが無理なら衝撃を受け止めるフレームと軽量FRPボディは別にしておけば、また違った発展の仕方をしたかもしれません。

しかしフジキャビンの失敗はかえって「安かろう悪かろうよりは、少々高くてもマトモな自動車を」という事で、軽自動車を含め二本の四輪車が発展するキッカケになりました。

もしフジキャビンが成功していたら、日本の道を走る車は今とだいぶ違う姿になり、後にマイクロカーが受けるバッシングも無かったかもしれません。


このように戦後初期の日本にもわずかながら存在したバブルカーでしたが、簡素化の中にも理想を盛り込もうとした姿勢が道路事情など日本の国情には合わず、結局もっとも簡素なオート三輪しか生き残れませんでした。

時代が再びマイクロカーを求めるのはそこから20年以上先の1980年代の事です。

次回は新時代のマイクロカーに力を注いだ光岡自動車と、タケオカ自動車工芸にスポ


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コメント:
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