レッドブル移籍1年目で3勝を挙げたダニエル・リカルドは2014年シーズンの大きな発見でした。
リカルドはその笑顔がトレードマークになっています。
一方で隙を見逃さない的確なドライビングで他の若手ドライバーより一歩先んじる事に成功しました。
レッドブルが見抜いた潜在能力
リカルドは1989年オーストラリアのパースで生まれました。
同郷のマーク・ウェバー同様国内のカートレースでキャリアをスタートさせます。
2006年奨学金を得てフォーミュラBMWのアジア選手権に参加したリカルドは総合3位の成績を収めます。
フォーミュラ・ルノーにステップアップすると2008年にはウェスト・ヨーロッパ・カップでチャンピオンになりました。
同時参戦していたユーロ・カップでもバルテリ・ボッタスに次ぐ2位となった事でレッドブルはリカルドに注目し始めます。
2009年にイギリスF3でチャンピオンになったリカルドはヤングドライバーテストでレッドブルに乗りトップタイムをマークし脚光を浴びます。
この結果からレッドブルはリカルドをジュニアチームのトロ・ロッソのリザーブドライバーに抜擢します。
翌年のワールドシリーズ・バイ・ルノーでも2位、再び挑んだヤングドライバーテストではセバスチャン・ベッテルを上回るタイムを出しました。
下位チームで見せた真価
リカルドは2011年もトロ・ロッソのリザーブドライバーを務めていました。
レッドブルはリカルドにレース経験を積ませようと考えていましたがシートに空きがありません。
そこでHRTのシートを1つ買い上げ、そこにリカルドを投入したのです。
マシンは最後尾の常連でしたが地道な走りはレッドブルを満足させるには十分なものでした。
翌年トロ・ロッソのシートに空きができ、F1フル参戦を果たします。
トロ・ロッソでもリカルドは継続して高い安定性を発揮します。
2年目の2013年には20ポイントをマーク、これはマシンの戦闘力を考えればかなり優れた成績でした。
ベッテルを食った男
こうしてすくすく育っていくリカルドに大きなチャンスが訪れます。
マーク・ウェバーが引退しレッドブルのシートが空き、これまでの実績を評価されトップチームのシートを手に入れたのです。
開幕前は幸運なだけだと思われていましたがリカルドはこの声を払いのける活躍を見せます。
開幕戦でいきなり2位フィニッシュ、マシンの規定違反で取り消されたもののその速さは世界を驚かせます。
メルセデスが圧倒的な強さを見せる中スペイン・モナコと連続で表彰台に上がります。そしてー
第7戦カナダGPは酷暑の中のレースでメルセデスや上位勢にトラブルが立て続けに発生しました。
リカルドはマシンを労りながら上位へ進出、ニコ・ロズベルグをも交わしF1初優勝を果たしたのです。
「どんなスポーツでも、大切なのは自信を持つことだ。僕には素晴らしいチームスタッフがいるし、素晴らしい結果につながると信じていた。こうして初優勝を飾ることができて、本当に嬉しいよ」 【F1】独走メルセデスの牙城崩壊。カナダGPの舞台裏|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|Motor Sportssportiva.shueisha.co.jp
この優勝が棚ボタでなかった事をリカルドはハンガリーGPで証明します。
巧みなタイヤ戦略で終盤3位につけたリカルドはルイス・ハミルトンとフェルナンド・アロンソのタイヤが厳しいと見るや仕掛けていきます。
大胆かつ安全マージンを残したオーバーテイクで見事2勝目を挙げました。
さらにベルギーGPでも優勝、予選・決勝ともにベッテルを上回りランキング3位となったリカルドは次世代チャンピオン候補の名声を得たのです。
次のステップへ
リカルドの武器は高い安定性とマシンへの順応力、そして勇気あるオーバーテイクです。
リカルドはオーバーテイクする時の心境をこのように語っています。
レース中、前を走るマシンに近づいていくとするだろ? そうすると、心がアタック・モードに切り替わって、それと同時に「どのあたりで彼の背後につけることができるだろう? そこで確実に彼を仕留めるとしたら、どうやって組み立てていくべきだろう? そこで取るべきラインは? 接近してオーバーテイクを試みる時に使うべきギアは?」といった事柄を考えはじめるんだ。 2015.6.16 | ダニエル・リカルド:ミツアナグマの秘密 | F1www.redbull.com
26歳にしてこの落ち着き、これが他の多くの若手ドライバーと一線を画するところなのです。
オーストラリアからは1980年のアラン・ジョーンズ以来ワールドチャンピオンが生まれていません。
ワールドチャンピオンとなり最高の笑顔で表彰台に登るリカルドの姿が見られる日をファンは心待ちにしています。