国産エンジンの歴史をジャンル別に解説するシリーズ、高級車編その2は、1960年代の皇室御用達だったプリンス・グロリア、中でも皇太子明仁親王(現在の天皇陛下)が愛用したグランド・グロリアと、その搭載エンジンG11を中心に紹介します。
皇室御用達だったプリンス・グロリア
現在は名称すらも無くなってしまいましたが、かつての日産・グロリアは日産と合併前のプリンス自動車により「プリンス・グロリア」として誕生しました。
現在のように排気量2000cc以上が3ナンバーとなる前の旧規格で初の3ナンバー車(現行規格では前回紹介した日産・セドリックスペシャルが初)だった初代の頃から宮内庁、すなわち皇室御用達だった事でも知られています。
そもそも「プリンス自動車工業」という社名自体が1952年に当時の皇太子殿下(現在の天皇陛下)が正式に皇太子となった儀式「立太子礼」にちなんで名づけられたので、まさにそのネーミングの狙い通りの効果があったと言えるでしょう。
トヨタのクラウン・エイトやセンチュリー、日産のセドリック・スペシャルが政府高官や国賓のための車として重用される一方で、プリンスのグロリアは主に宮内庁に多数納入されたのです。
皇太子最速伝説とプリンス
ちなみに現在でもホンダ・インテグラを愛用し、それ以前はVWビートル(旧型のタイプ1)にも乗っていた天皇陛下には皇太子時代にもクルマに関するエピソードが数多く残っており、ディムラーといった高級車やアルファロメオのスポーツカーのハンドルを自ら握っていました。
皇后陛下がまだ「美智子さま」だった頃のドライブでは、軽井沢へのドライブでディムラーのハンドルを握って軽快な走りを見せ、国産セダンで追いかけるSPは死ぬような思いをしながら何とか追いかけた…ですとか。
あるいは、自動車評論家の故・徳大寺有垣氏が若き頃に狭い道でプリンス・スカイラインに出くわし、自分は絶対バックしないぞスカイラインがバックすればいいんだ、とばかりににらみ付けようとしたところ、若き日の天皇陛下が運転するスカイラインなのに気づいて、さすがに慌ててバックした…という逸話が残っています。
今の皇太子殿下がそんな事をしたらすさまじいニュースになりそうですが、当時がいかにのんびりした時代だったかを語るエピソードでもあります。
国産初のSOHCストレート6エンジン「G7」
そんな皇室御用達のプリンスらしく、エンジンも高級路線で初のストレート6、すなわち直列6気筒エンジンは、メルセデス・ベンツの直列6気筒エンジンを参考にしながら開発されたSOHC6気筒1988ccエンジン「G7」でした。
同時期のセドリック・スペシャルのK型エンジンがまだOHVだったのに対し、排気量こそ2800ccのK型より小さい2000ccだったものの、SOHCで静粛性と高出力化を行い100馬力以上を発揮します。
もちろん高級車「グロリア・スーパー6」の用エンジンとして好評を博したG7でしたが、その名を轟かせたのはむしろ1クラス下の小型セダン「スカイライン」のフロントを延長して無理やりこのG7を押し込んだ、S54「スカイラインGT」(後にS54BスカイラインGT-B)の活躍によるものが大きいでしょう。
皇太子殿下の「愛のグランドグロリア」と「G11」
そのグロリア・スーパー6をさらに豪華仕様にして、排気量も2500ccにアップした「G11」型エンジンを搭載したのが「グランドグロリア」です。
このクルマがデビューした1964年の2年後にプリンスは日産と合併してしまい、以後日産の高級車は「プレジデント」として発展していくのでグロリア系の高級車はこれが最後となりますが、それにふさわしいエピソードを残しました。
グランドグロリアにはボディを若干延長して後席スペースに余裕を持たせたモデルが少数生産されて宮内庁に納入されましたが、使用したのは皇太子殿下時代の天皇陛下です。
以前からプリンス自動車工業に、乗り降りを容易にするようサイドシルの形状や厚みに注文をつけていた陛下でしたが、グランドグロリアに対しても「私はいいけど、美智子(現在の皇后陛下)のために…」というオーダーだったそうです。
もちろんボディ延長は重量増加を招きますが、そこは排気量アップで105馬力から130馬力へとパワーアップし、余裕を増したG11型エンジンの本領発揮という事で、当時の美智子妃殿下を乗せて自らハンドルを握り、軽快に走ったと言われています。
なお、ボディ延長していない通常型のグランドグロリアの公称最高速度は170km/hだったそうですから、余裕の走りには当時の両殿下とも満足されたのではと思います。
そして時代はV8へ
国産乗用車の発展もそこそこに高級車の大排気量化、6気筒化が進んでいった国産車ですが、日産、プリンス、トヨタ、三菱と次々に直列6気筒エンジンが登場するに及んで、競うようにさらなる高級化が進んでいきます。
次回は各社が送り出し、その後の日本車にとって長らく上限となる「V8エンジンの数々」をいよいよご紹介します。