国産エンジン史スポーツカーその9・70年代トヨタツインカムの時代(後編)

国産エンジン史スポーツカー編その9は、70年代、トヨタ・ツインカムの時代をご紹介します。

1970年代中盤から後半、段階的な排ガス規制で苦しむいすゞとトヨタのDOHC

1970年に米国で決まったマスキー法(大気浄化法改正法)に伴って、日本国内でも段階的に強化された排ガス規制によってDOHCハイパワーエンジンにとっては苦しい対応を迫られました。

当時のハイパワーエンジンは大型のキャブを連装してどんどん濃い燃料を燃やして高回転で同じ排気量でもパワーを稼ぐというもので、高回転まで軽快に吹け上がるDOHCエンジンは不可欠だったのです。
それが昭和50年(1975年)排出ガス規制ではCO(一酸化炭素)、HC(炭化水素)を、同昭和51年(1976年)と昭和53年(1978年)の規制ではNOx(窒素酸化物)の縮減を迫られました。
そのため濃い燃料の燃焼でハイパワーを出す代わり、未燃焼ガスの残る排ガスでとても規制が通らないエンジンなど、許されなくなったのです。

1975年10月~11月の2T-G、18R-G一斉廃止

1974年4月、排ガス規制強化を前にトヨタはカローラレビンとスプリンタートレノをそれぞれ2ドアハードトップのTE37(レビン)、2ドアリフトバックのTE47(トレノ)へとモデルチェンジします。
車重が重くなってTE27時代の快適性は損なわれたとはいえ、小排気量ハイパワーの1.6リッター2バルブ直4DOHCエンジン、2T-Gは健在だったのです。
しかし翌1975年10月から11月にかけ、ついに運命の時を迎えます。
昭和50年排ガス規制に対応できない2T-G搭載車、レビン、トレノ、それにセリカ1600GTもカリーナ1600GTも生産中止となったのです。
それだけでなく、2リッター2バルブ直4DOHCの18R-Gを搭載したRX20コロナマークII GSSも廃止されています。
他のエンジンを搭載していたセリカやカリーナ、マークIIは存続しましたが、この時点で他のエンジンを持たなかったレビンとトレノは一時生産中止、TE37とTE47は非常に短命で生産台数も少ないまま終わりました。
 

辛くも昭和50年排ガス規制に適合した最後の砦、18R-GUとECGI装備型G180

残念ながら2T-G搭載車が廃止された一方、2リッターで排気量に余裕があった18R-Gは、触媒を装着した18R-GUとしてからくも昭和50年排ガス規制を生き残ります。
それから約1年、18R-GUがいすゞG180とともに、日本で唯一生産、販売を続けるDOHCエンジンとなったのです。
18R-GUを搭載していたのはRT104コロナ2000GT、RA17カリーナ2000GT、RA20セリカ2000GTの3車種でした。
燃料供給方式にいち早くECGI(電子制御燃料噴射)採用の1.8リッター直4DOHCのG180を搭載していたいすゞ 117クーペと共に、この4車種がDOHC最後の砦となったのです。

昭和51年排ガス規制対応のEFIモデル、続々登場

厳しくなる排ガス検査をパスするためには、排ガスから有害物質を除去する触媒(フィルター)を装着した上で、それによる排気効率の低下によるパワーダウンを補うため、排気量を上げるのが一番です。
そのため18R-GUは生き残りましたし、他社のSOHCエンジンも排気量を上げるか走行性能低下をしのぶかの選択を迫られています。
もう一つの方法が燃料供給を機械的なキャブレターからコンピューター制御で適切な燃焼を行い有害物質を減らす電子制御燃料噴射化で、トヨタはこれにEFIと名づけて2T-Gと18R-Gに装着。
それぞれ2T-GEU、18R-GEUとして1977年1月から順次各車に搭載、レビンとトレノもそれぞれTE51、TE61として復活させました。
これにより、トヨタは昭和51年排ガス規制をクリアした上で、DOHCエンジンの復活を果たしたのです。
ただし、この時期はまだEF(いすゞはECGI)Iの能力が不完全で触媒も大型で排気効率の良くないものが装着されたままでしたから、カタログ上での数値以上にパワーダウンや回転フィールの悪化が著しかったと言われています。
いくらカタログ上の最高出力が戻ってきても、吹け上がりの悪いエンジンはスポーツ走行に向かないのです。
 

三元触媒の登場とO2センサー装着でEFI能力フル発揮、昭和53年規制をクリア!

せっかく復活しても「名ばかりのDOHC」では意味がありませんが、DOHCにこだわるからには次の一手がありました。
排気効率の悪かった触媒を小型軽量高効率の三元触媒に換装、O2センサー装着でEFIによる燃焼管理をより正確に行えるようになった第2世代2T-GEU、18R-GEUが1978年4月以降順次搭載されます。
これで出力は向上し、大型連装キャブレターほどでは無いにせよフィーリングもだいぶ戻ったので、ようやくトヨタのDOHCは安定したのでした。

ここで代表的なのはやはりカローラ/スプリンターシリーズ

この1970年代末期の代表的なDOHCエンジン搭載車といえば、やはりトヨタのカローラ/スプリンターシリーズでしょう。
2T-GEUとして完全復活した1.6リッタースポーツDOHCエンジンをアピールすべく、1979年3月にモデルチェンジしてE70系となったカローラと兄弟車スプリンターのライトバンを除く全車に、レビン/トレノと同じ2T-Gを搭載したスポーツグレード「GT」を設定したのです。
「トヨタは量販車のスポーツグレード全車にDOHCスポーツエンジンを搭載できるんです!」という技術アピールは、まさに他社の追随を全く許しませんでした。

「名ばかりのGT達は道を開ける」というトヨタの挑発と日産の屈辱

さらに同じ1979年には大事件が起こります。
トヨタ セリカのCMに使われたキャッチコピーには「名ばかりのGTは道を開ける」と、堂々と書かれていたのです。
EFI+三元触媒で135馬力の出力とフィーリングを取り戻したDOHCエンジン、18R-GEUを搭載したRA40セリカ2000GTが、日産を代表するGTでありながら130馬力の2リッター直6SOHCエンジン、L20Eしか搭載していないスカイラインGTに「道を開けろ」と言ったのです。
スカイラインGTを擁する日産にとってはまさに屈辱でした。


スカイラインはこの翌1980年、日産 セドリック/グロリアに続く2番目の、GTとしては初のターボ化に踏み切るわけですが。
これにより今度は「DOHCとターボ、どちらが優れているか」の論争に発展していくのは、また次回「トヨタ・ツインカム対日産ターボ、その結末」に続きます。
 

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