【車の美しさの原点は馬にある】スポーツカーを語るうえで外せない競走馬の存在

人間の移動手段は時代の流れと共に変化してきた。もちろん人類が最初に手に入れた移動手段は徒歩であるが、その次に手に入れたのは馬である。人間が馬に乗り始めたのは紀元前1300年頃と言われており、発祥はモンゴルだそうだ。日本で言うと古墳時代には馬に乗っていた痕跡がある。そしてそこから時代は大きく流れ、主な移動手段は自動車へと移り変わった。つまり、自動車の歴史を遡っていけば最終的には馬へたどり着くのである。「馬と自動車は全然違う」そう思うかもしれないが、いまだに自動車の力を「馬力」と呼ぶし、フェラーリやポルシェのエンブレムには馬が描かれている。そう、自動車を語るうえで馬の存在は欠かせないのである。今回は速さを追求することで生まれる美しさに重点を置き、スポーツカーの美しさを競走馬と比べつつ語っていきたい。

車のデザインの移り変わり

今回語るのは現代のスポーツカーだが、現代のスポーツカーを語るうえでは当然ながら自動車の歴史を振り返っていかなければいけない。自動車の誕生から現代まで、ざっくりと振り返ることで自動車に馬の面影がどのように残っているか見ていきたい。

自動車誕生初期 1890年代

誕生初期はこのように空気入りのタイヤではなかったが、大まかなスタイルは変わらない。ここでわかるのが、誕生初期の自動車には馬の面影がほとんどないことだ。なぜなら、このスタイルは馬と言うよりも馬車に近い。それまで馬車の動力は馬だった。それがエンジンに置き換わったわけで、形としては馬車をエンジンで引っ張るというのが一番しっくりくる。

速さへの憧れ 1910年代

この頃のロールスロイスには6気筒50馬力のエンジンが搭載され、走ることへのこだわりが現れるようになっていた。そして、人類は「速さ」を追い求めるようになる。自動車のレースが始まり、200km/hへ到達するのもこの頃だ。スポーツカーは必然的に速く走るための形になっていくのである。もう馬車とはかけ離れたデザインであり、空気抵抗を抑える自然な形になりつつあるのがわかる。

レースで勝つための車 1950〜1960年代

企業と企業の戦い、レースで勝つことを目的とした自動車が作られるようになる。「レースで勝てばスポーツカーが売れる」スポーツカーは速さと美しさを両立する存在になっていった。このフェラーリのDino 206も見てわかる通り、美しい流線型をしている。先が尖り、風を受け流すその形は馬の顔に似てきているようにも思える。

強さと大きさを魅せる 1970年代

美しい流線型が多かったと言ったが、実はプレス技術が未熟であったためというのもある。1970年代に入ってからは角ばった鉄板を作れるようになり、角があっても強度を保つ技術もできた。そして、自動車は大衆にも広く普及し「道具」として見られるようになった。「自分はこんなに強くて大きい自動車を持っている」そういった車マウントもアメリカを中心に広まり、カクカクした自動車が一般的になっていく。正直なところ、筆者はこの年代の自動車に馬の面影を一ミリも感じないため、あまり好きではない。

空力と室内空間 1990年代

1970年代ではオイルショックによって燃費性能が重要視されるようになり、空力性能を求めたデザインになるようになっていた。カクカクな見た目も徐々に丸みを帯びていったわけだ。そして1990年代に入り、「別に丸くなくても空力いいじゃん」と気づく。必ずしも丸い必要はないため、角と丸が融合していくのがこの時代だ。この頃からデザインに「線」が目立ってくる。いわゆるキャラクターラインと呼ばれる個性が際立ち、流れるような美しさが感じられるようになってきた。

速く走るスポーツカーと競走馬の美しさ

自動車にも色々な種類があるが、より馬に近いのはスポーツカーである。速く走るために進化を続けた速さに対する機能美を持っているのはスポーツカーと競走馬であるからだ。ただ高級なだけである高級車や移動を目的とした大衆車にはまた違った様式美が存在する。

高級車のデザイン

速いと高級はイコールではない。車はエレガントさを出そうとすると落ち着いた印象を持たせる必要がある。高級車には居住性が必須であり、どれだけ優雅な移動を楽しめるかが肝心だ。また、シンプルに線で魅せることで落ち着いた高級感を醸し出している。自動車は「直線」の方がエレガントに見えるのである。ロールスロイスなんて直線だらけだ。

スポーツカーのデザイン

スポーツカーは速さと高級感を両立したデザインになっている。速さだけを求めるのであればF1カーのように軽く小さいスタイルになる。ただ、スポーツカーには美しさも必要であり、速く走りそうで美しいデザイン「スポーティ」さというのが肝心になる。空力を意識することで低くスラッとした流線型となり、まるで空と飛ぶ鷹のように生命力を感じる。また、キャラクターラインとして線が隠されており、力強さを感じる筋が全身に走っている。

競走馬のデザイン

馬は美しさを求めて作られた物ではない。速く走るために進化し、生物学的で必然的にこのデザインになったのだ。自然に空力性能が良い流線型になり、角ばったところはない。そしてキャラクターラインとも言えるような筋肉の筋が浮き出ている。人は速く走るために、なるようになったこのデザインに美しさを感じるのである。人が競走馬を見て奮い立ち、熱狂するのには単なるギャンブルとしての理由だけでなく、力強く生きるかっこよさに憧れを抱いているからなのではないだろうか。

自然の生き物の動きから作られる自動車のデザイン

人の乗り物は馬から自動車へと移り変わり、自動車も時代と共にその形を変えてきた。自動車の機構は複雑になり、単なる乗り物から「メカ」のような存在となっていた。そのメカである自動車もゴツゴツしたロボットが人間に近い形になるように、自然に近い形に変化してきているように思う。その変化の先頭に立っているのが筆者の大好きなマツダなので、マツダの美と共に紹介していきたい。

人馬一体

【MAZDA】RX-VISIONはなぜこんなにも人を惹きつけるのか

この記事でも語ったが、マツダはデザインの中で「鼓動」にこだわっている。まるで自動車に心臓があって鼓動しているようなデザインをマツダは作り出す。ここまで生き物アピールをしているメーカーはマツダの他にいないだろう。フェラーリも跳ね馬のエンブレムをつけて綺麗な流線型の車を作っているが、「馬っぽいでしょ」なんて言っている所は見たことがない。

まるで生きているかのような流線型と躍動感。エネルギッシュに見えて、どこかに情緒的な淑やかさすら感じる。ひと昔前にマツダは、クルマに命を吹き込み、愛馬として心を通わせる『人馬一体』を掲げていた。RX-VISIONもまさに馬のようである。走る生き物として長い年月をかけて洗練された身体。そこには、神秘的だが必然的に完成された機能美を感じる。なぜそのカタチにしたのかではない。必然的にそのカタチになったのだ。馬が好きな筆者が鼓動デザインに魅了されるのも納得である。

筆者が過去記事で語ったRX ~VISION

 

クルマをただの機械だとは思っていません。クルマは人と心を交わす存在であって欲しい。だからこそ生命を感じるフォルムを創ろうとしています。命あるものだけが持つ、動きの美しさ。その一瞬の動きを表現したいのです。

RX-VISION公式サイトより

まさにこのように、自動車の進化につれて自動車はただの機械ではなくなってきた。一昔前は機械というだけで凄かったものが、現代ではその機械にいかに命を吹き込むかが技術の結晶とされている。やはり人間は自然の中に美しさを感じるのだ。

これからの自動車デザイン

これからの自動車デザインは大きく二分化するのではないかと筆者は思っている。最近は電気自動車も普及し、エンジンを爆発させ震わして動くという生き物らしさが薄れてきた。また、自動車は単なる移動手段として利用されることも多くなり、シンプルで居住性の良いデザインが好まれるようになってきた。テスラのサイバートラックなんかが良い例だろう。時代は繰り返すというが、人間はまた「メカ」らしさを好むようになったのかもしれない。だが、スポーツカーはいつになっても廃れない。トヨタの豊田社長も言っているように、生き残るのはスポーツカーだ。馬が乗り物として淘汰された今も競走馬は生き続けている。エンターテイメントは廃れない。だから、スポーツカーのデザインはこれからも美しい流線型と力強さを残していくだろう。

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