消滅した自動車メーカー・プリンスが愛したプリンス

消滅した自動車メーカーその8は、無くなったことが今でも惜しまれている、プリンス自動車工業でしょう。


スバルとは別の、もうひとつのヒコーキ屋上がり

日本の自動車メーカーで航空機メーカーをその前身にしていると言えば、中島飛行機を前身とするスバル(富士重工業)が代表で、他には現在日産傘下の部品メーカーとなっているコニー(愛知機械工業)が、愛知航空機を前身としていました。

そのほかにもうひとつ、これは厳密に言えば航空機メーカーが前身ではないのですが、その技術者たちが興した、という意味で後進と言えるメーカーがあります。

戦時中には九八式直協偵察機や高高度戦闘機キ-94IIを開発していた立川飛行機という航空機メーカーがありました。

会社そのものは戦後の紆余屈折を経て、現在も立飛ホールディングスとして存続していますが、戦後の混乱期、連合軍による工場接収で解雇された立川飛行機の技術者が設立したのが、東京電気自動車、後にたま自動車を経てプリンス自動車工業となる前身の会社です。

戦後の電気自動車全盛期

戦時中の日本では燃料不足から、ガソリンエンジンを改造して木炭を燃焼させたガスで走る木炭車がメインになっていましたが、戦後電力だけでも復活すると、電気自動車がそれにとって代わりかけた時期がありました。

燃料事情は相変わらず悪かったため、バッテリーを多数搭載してモーターで走る電気自動車は、木炭ガスを発生させるために長い時間がかかり、始動も大変な木炭エンジンに代わり、乗用車用動力として注目されたのです。

そこで、立川飛行機では戦前からの自動車メーカー、オオタに協力を依頼して湯浅電池(現在のユアサ)のバッテリーを搭載し、日立のモーターで駆動するトラックを試作。

立川飛行機が占領軍総司令部によって解体されると、東京電気自動車として独立し、「たま号」という最高速度35km/h、航続距離65kmのEV(電気自動車)を開発。

さらに大型化して実用性を高め、最高速度55km/h、航続距離200kmtと、今でも最高速度を除けば通用しそうなスペックを持つ「たま セニア」「たま ジュニア」を量産、会社も「たま電気自動車」に改名しました。

いわば戦後混乱期に現れた、EVメーカーのパイオニアだったわけです。

ガソリン自動車メーカーへの転換

順調だったように見えたEV事業ですが、朝鮮戦争に伴いバッテリー用の鉛が軍需物資として統制されてしまいました。

昔も今も、高性能バッテリーのための資源争奪という歴史は変わらないようです。

そこでガソリンエンジンを搭載した自動車メーカーへの転身を図り、社名もたま自動車に変更すると、セニアとジュニアにオオタのエンジンを搭載してガソリンエンジン自動車化し、オオタ車として販売することで在庫処分を行いました。

エンジンは旧中島飛行機系で富士重工に加わらなかった富士精密工業に開発を委託、そのエンジンを搭載した新型車のデビュー時期に、当時の皇太子殿下(現在の天皇陛下)が立太子礼を行った記念に「プリンス自動車工業」へと改名しています。

プリンス・セダンとプリンス・トラックの販売は、1952年に開始し、高性能エンジンと頑丈なボディで好評を得て、一躍日本の主力自動車メーカーの一角に躍り出たのでした。

皇太子殿下の愛したプリンス

その後富士精密工業と合併したプリンスは、スカイラインやグロリアといった高性能自動車を開発、そのメーカー名もあって宮内庁御用達となったほか、皇太子殿下のアドバイスで、美智子妃殿下(現在の皇后陛下)のためにロングホイールベースバージョンのグランドグロリアを作ります。

皇太子殿下自身もプリンス セダンやスカイライン、グランドグロリアを愛用していた時期もあり、後に長く皇室御料車として使われる日産プリンス ロイヤルの開発も開始するなど、皇室や宮内庁ととてもつながりの深いメーカーだったのです。

レースへの熱い情熱、急転直下の合併

一方、レースでも第1回日本グランプリではトヨタに惨敗したものの、翌年の第2回ではグロリア・スーパー6やスカイラインで大暴れします。

しかし、グロリア・スーパー6のエンジンを搭載したスカイラインGTはポルシェ904に善戦しながらも結局惨敗、そこから本格的レーシングカー開発にのめりこみ、日本初のパイプフレーム式本格軽量レーシングカー、プリンス R380を生み出しました。

しかし、プリンス自身の経営不振と、通産省(現在の経済産業省)の自動車業界再編計画によって、1966年には日産に吸収合併され、あえなく消滅してしまったのでした。

現在も残るプリンス魂

しかし、当時の日本の自動車業界で異彩を放っていたプリンスだけに、日産合併後もその個性は色濃く残り、R380に端を発したレーシングカーや、その技術を生かしたスカイラインGT-R、ラリーやレースで活躍したDOHCエンジンなど、プリンスの影響は色濃く残りました。

現在日産の誇るスーパーカー、R35 GT-Rなど、プリンスの血を引く代表例と言えるでしょう。

プリンスの名は日産プリンス東京販売など、販売会社の名前で今でも残っていますし、日産車の特装車や特別仕様車を得意とするオーテックジャパンも、日産プリンス自動車販売の一部門がその前身で、初代社長はプリンス出身、歴代スカイラインの開発に携わった桜井 眞一郎 氏でした。

企業としてのプリンスは消えても、今でも日産にはプリンスの血が色濃く流れています。


次回、消滅した自動車メーカーは、イギリスのトライアンフをご紹介します。

現在でもオートバイメーカーとしてのトライアンフは健在ですが、かつては自動車メーカーとして数々の名車を生み出したトライアンフ、憧れた人もいるのではないでしょうか?

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