超小型車の時代・「サイクルカーからバブルカーまで」

超小型車が再び脚光を浴び始めている中、一人乗りでちょっとした荷物を積める程度で十分でさらにEVの登場でガソリンも不要な現代的な超小型車がデビューしています。ではそのルーツはどこなのでしょうか?

超小型車の始祖はどこに求める?

 

現在の「車が増えすぎた都市における、軽便な自力移動手段」としての超小型車の始祖をどこに求めるかは、議論の分かれるところです。

そもそも自動車が増えすぎて困るようになった時代から始めようとしても、実はそういう時代ほど「一般庶民にも自動車が手が届くようになった」結果としてそのような状況が起きているので、超小型車はむしろ消えゆく存在だったのです。

かといって、ただ小さくて安い自動車が元祖かというと、軽自動車の先祖のようにも思えます。

ただ、日本の軽自動車規格というのは、国民に広く自動車というものを普及させる、日本の通産省が推進した「国民車構想」が下敷きになって発展したものであり、シティコミューター的な存在ではありません。
(むしろ1920年代のT型フォードや、ナチス・ドイツが作ったフォルクスワーゲン「ビートル」がそれに当たるでしょう)

となれば、「自動車として十分な性能は持たないが、モーターサイクルよりは移動手段としての快適性が高い」そんな車が、超小型車の始祖と言えそうです。

ごく初期の超小型車「サイクルカー」

19世紀末に自動車が開発された初期から、富裕層が乗る大型車(高級車)と、「ボワチュレット」と呼ばれる安価な軽量乗用車には明確な差がありましたが、双方ともに「自動車らしい自動車」には違いが無く、より安価で軽便な移動手段としての車が求められました。

その結果生まれたのが、モーターサイクルのエンジンや駆動系を使いつつ、四輪のタイヤ(場合によっては後輪はモータサイクル同様の一輪としたスリーホイラー)を持ち、自動車のように座席を持っていた、主に2人乗り(並列またはタンデム)の小型車「サイクルカー」です。

それが生まれた1900年代から1920年代という時代は、まだ「街に車が溢れる」という時代では無かったので、単純に税金も車両価格も安い軽便かつ快適な移動手段、というポジションでした。

1912年には欧米で統一規格が決められ、スポーツカーまで製作されて、サイクルカーGPなるレースまで開催されています。

そういう意味では後の日本の軽自動車に似ていますが、サイクルカーは「もっと自動車らしく、そして安価」な自動車、つまりT型フォードや、それを範とした低価格車の登場でその存在意義を失い、1920年代で一旦その歴史の幕を閉じます。

ヨーロッパで戦禍からの復興を支えた「バブルカー」

超小型車が復権したのは、第二次世界大戦が終結した1945年以降の事です。

戦争で本土での激しい地上戦闘や度重なる空襲ですっかり荒廃したドイツでは、生き残った全産業が連合軍の統治下に置かれて工場も自由な操業ができず、疲弊した経済も立て直せないまま1949年の東西ドイツ分断国家誕生に至りました。

その西側陣営、西ドイツでもいざ独立して自由な工業生産が再開されたところで、物を作って売れるという状況ではなく、とにかく売れる製品を作る必要性に迫られます。

その中には当然かつてヨーロッパ最強を誇ったルフトヴァッフェ(ドイツ空軍)を支えた航空機メーカーも存在し、それらが航空機開発の技術を活かして軽量で空力に優れ、安価で非力なエンジンでも十分な性能を持った超小型車を作りました。

それが、メッサーシュミットやBMW、ハインケルなどが作った「キャビンスクター」(カビネンローラー)、後にその空力に優れた丸みを帯びたボディから「バブルカー」と呼ばれた超小型車です。

このあたりの経緯は、日本でも富士重工業(かつての中島飛行機)が「スバル360」を作った経緯とほぼ同じと言っていいかもしれません。

疲弊した経済と、不穏な国際情勢の中で発展

ドイツの航空機メーカーが作った「メッサーシュミットKR200」や「BMW(イソ)・イセッタ」、「ハインケル・カビーネ」は、イタリアやフランスでも作られてヨーロッパ各国で作られ、ドーバー海峡をわたってイギリスにも数多くが輸出されました。

第二次世界大戦はヨーロッパ各地が戦場になったため、各国の経済が疲弊しているのは戦勝国、敗戦国を問わずして共通でした。

さらにスエズ危機(第二次中東戦争)の影響で中東からの石油輸入が困難になるなどの情勢から、安価で低燃費のバブルカーに注目が集まり、1950年代を通してその全盛期となります。

そこで超小型車並にコストパフォーマンスの高い「まともな自動車」を急ぎ作るべし、という緊急テーマにのって作られたのがイギリスの初代「ミニ」で、「経済性が高い自動車が登場すれば超小型車は消えゆくのみ」、というかつてのサイクルカーと同じ道を歩んで、バブルカーは1960年代に入って急速に姿を消していったのでありました。

その昔は、庶民が「自動車」を手に入れるまでの過渡期の存在

このように、現在のシティコミューター的な超小型車とは違い、純粋に「庶民の足」として普及したヨーロッパの超小型車ですが、戦後日本でも実は軽自動車とは別に同じような動きがありました。

次回は「日本では普及しなかったバブルカー」を紹介します。

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