消滅した自動車メーカー・自動車ショー歌でも唄われた名門パッカード

「自動車ショー歌」がヒットした時には、パッカードは既に消えて無くなっていました。

名門高級車メーカー「パッカード」

1899年にアメリカ合衆国はオハイオ州ウォーレンで創業したパッカードは、1904年にデトロイトに本拠を移すと、高性能なエンジンとシャシーで好評を得ます。
1915年には乗用車用として当時としては破格のV型12気筒エンジンを開発して搭載、折からの第1次世界大戦による好景気もあって販売も好調で、高級車メーカーとしての地位を不動のものとしました。
高級車メーカーとしてどのような地位にあったかと言えば、キャデラック、ロールスロイス、イスパノ・スイザ、メルセデス・ベンツと並ぶと言えば、想像がつくでしょうか。
キャチコピーは”Ask the Man Who Owns One”(その良さは持ち主に訊け)で、パッカードの良さはオーナーに聞けばわかる、という自信に満ち溢れていたのでした。

米大統領や皇族も愛用

アメリカ大統領や映画スターもこぞってパッカードの高級車を好み、国内外でも公用の高級車といえばパッカードという国が多かった時代もあったのです。

日本ですら政府公用車は元より皇族や華族の愛用するクルマとしてパッカードは有名で、乗れるのは宮様か株屋などあぶく銭を掴んだものだけ、と言われていたのです。
今でもロールスロイスのような超高級車はそのような扱いを受けていますが、さらにそれを上回る、トヨタ センチュリーロイヤルのような扱いだったかもしれません。

不動の地位からの陥落

しかし、1920年代末期の世界大恐慌で高級車の販売が低迷した事が、パッカードにとって凋落の始まりでした。

販路拡大のため高級車だけではなく安価なクルマも開発・販売したのです。
そのパッカード 120は販売そのものは大成功を収めましたが、収まらなかったのは旧来からのパッカードユーザーでした。
それまでパッカードに乗れる事は誇りですらあったのに、急に誰でも買えるような値段でパッカード車が販売されたとあっては、それまでのパッカード高級車ユーザーの面目は丸潰れでブランドイメージも失墜、高級車ブランドとしてのパッカードは地に落ちてしまったのです。
これはロールスロイスがある日突然トヨタ クラウンのようなクルマを発売したようなものでしたから、相当なショックだった事でしょう。
他の高級車メーカーはブランドイメージにあまりに大きな影響を及ぼすクルマを発売する時、たいていの場合別ブランドで販売します。
今でもメルセデス・ベンツがシティコミューターのようなクルマは「スマート」ブランドで販売していますし、トヨタは高級車を自社ブランドとせず「レクサス」ブランドにしているようなものです。

パッカード「マーリン」

それだけ大事なブランドにあっさり泥を塗ってしまったパッカードでしたが、ともかく経営は持ち直したというところで第2次世界大戦に突入しました。

あらゆる自動車メーカー、というよりほぼ全ての製造業で軍需生産が優先され、パッカードも1942年を最後に乗用車の生産を一旦中止、軍需生産でフル操業に移ります。
そこでパッカードは、自動車と全く関係の無いところで歴史に名を残しました。
それは、航空機用レシプロエンジンの大傑作として名高い、ロールスロイス「マーリン」のライセンス生産。
1940年、イギリスではこの傑作エンジンを戦闘機から爆撃機まであらゆる航空機に搭載してドイツ空軍と激闘を繰り広げており、とても生産が追いつかないのでアメリカでも生産してくれるメーカーを探していました。
そこで当初は大メーカーのフォードに話を持ち込んだものの、まだアメリカが第二次大戦参戦前だった時期でもあり「兵器は作れない」と断られたのでパッカードに話を持ち込み、そこでパッカード「マーリン」を作る事が決まります。
高級車の名門とはいえ規模自体は小さかったパッカードでしたが、会社を大拡張してマーリンを大増産、イギリス機だけでなくアメリカの戦闘機「P-51マスタング」にも途中から採用され、無敵を誇る名戦闘機の原動力となったのです。
そのため、自動車マニアでなくとも飛行機マニアであれば「パッカード」の名は不朽のものとなっています。

戦後の大凋落

しかし第2次世界大戦が1945年に終結すると、もう「マーリン」工場としてのパッカードは用済みです。

戦争終結前から乗用車の生産再開準備をしていたパッカードでしたが、ここで生産設備を野外に放置していたり、あるいはプレス型をソ連に売却してしまっていたので、すぐに生産再開できないという問題が生じました。
(そのため、戦後のソ連ではパッカードのコピー車を作っています)
何とかボディ製作会社に委託して生産を再開、クリッパーなど新型車も1951年には登場しますが、間もなくパッカードに大問題が起きます。
ボディ製作を委託していた会社がこともあろうにクライスラーに買収され、パッカードは不慣れなボディ自社生産を余儀なくされたのです。
おかげで品質低下にクレーム多発、経営が危うくなったパッカードはスチュードベーカーという自動車メーカーと合併、「スチュードベーカー=パッカード社」として乗り切ろうとするも、スチュードベーカーも経営が悪化しており失敗。
その後も経営改善のための努力が全て裏目に出てしまいます。
結局パッカード車は1957年以降、安価なスチュードベーカー車にパッカードのバッジをつけただけのクルマに成り下がってしまい、1958年にはブランド自体が消滅。
1962年には社名からもパッカードの名が消えて単なるスチュードベーカー社になり、パッカードはアッサリと消えて無くなったのでした。

日本にて…自動車ショー歌で最後の一花

そうして戦後あっけなく消えてしまったパッカードでしたが、第2次世界大戦の敗戦国・日本ではアメリカを中心とした進駐軍が乗り込んできており、その中に当然パッカードの高級車も持ち込まれています。
戦前にイメージされた高級車の代表が、アメリカの威信のひとつとして戦後にも上陸してきたので、日本では再び「高級車の代表」として認知されたのです。
だからこそ小林旭の「自動車ショー歌」でも歌われたのですが、「あの娘をペットにしたくって、ニッサンするのはパッカード」とヒットした1964年、パッカードはすっかり消えてなくなっていたのは何とも皮肉なオチでした。


すっかり無くなってからアメ車の代名詞として日本で歌われたパッカードでしたが、栄枯盛衰とはまさにこの事でしょうか。
次回は再び国産車メーカー。
また超マイナーメーカーですが、2009年の東京モーターショーで見た「スパッセV」は本当にカッコ良かったです。
次回「鈴商」お楽しみに。

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